地球丸フォトエッセイ

「地球はとっても丸い」プロジェクトのメンバーがお届けする、世界各地からのフォトエッセイです。
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第1回 パラダイスビーチの椰子の木
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい (ミシガン州・アメリカ合衆国)


パラダイスビーチの椰子の木

 南太平洋の小さな国サモアの南端、レファガ村に位置するパラダイスビーチ。ここは、1952年にゲーリー・クーパー主演の映画『RETURN TO PARADISE (楽園に帰れ)』のロケ地になったという海岸だ。サモアで暮らした4年間、何度ここに足を運んだことだろう。デッキチェアもビーチパラソルもない、何百年前と大して変わらないだろう自然のままの浜である。

 この浜で週末のたび、子どもたちといっしょに波と戯れ、釣りを楽しみ、遊び疲れると読書にふけった。真青な空に、ぽっかり浮かぶ白い雲、エメラルドグリーンの海を背に、波音を聴き、海風に吹かれながら、まどろむ心地良さは一生忘れない。村人が、浜の近くでとったばかりの、ココナツやバナナ、パパイヤをそっと差し出してくれた。もちろん、何の見返りを求めることもなく。海を見ながらかぶりつくその味は、格別だった。今思い出すと全てが夢のようだ。

 ほとんどの椰子の木が、真青な空に向かって生えているというのに、1本だけ、“掟破り”のように、太平洋の波に戦いを挑むように茂る椰子の木があった。家族そろって日本をあとにした我が身に重ねて、ビーチファレから長い間その椰子の木を見ていた日のことを、ずっとずっと覚えていたいと思う……。

注:ビーチファレ
浜に設置された休憩用の場所。サモアの伝統的な家“ファレ”と同じく、壁はなく椰子やバナナの葉などで覆った屋根と柱だけの簡素な建物。



≪椰子ノ木やほい(やしのきやほい)/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、受験のない世界での、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住。4年間、南国生活を楽しむ。思春期に向かう子どもたちにとっての、より適切な環境を模索する中で、2001年より、アメリカ合衆国、ミシガン州に在住。遠い昔のことになりつつある、サモアでの日々を、ここに記しておきたいと思います。関連サイト:我が家が日本を脱出してからの記録「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」、海外在住ライター、フォトグラファーを支援するサイト「海外在住ライター広場」 
第2回 人がやさしくなるには、マロロが大事
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)

第2回人がやさしくなるには、マロロが大事

 ここはサモアで暮らしたころ、毎日通った小学校の集会所だ。朝7時50分、教室に子どもたちを送り届けた後、母親たちはおしゃべりを楽しみながら、学校が終わるまで半日待つ。10時半からはじまる30分のお昼休みには、親子そろってここでお弁当を食べる。

 サモアで暮らすことになり、友人宅で最初のお昼ご飯をご馳走になった後、「はいどうぞ」と枕をわたされた。友人はポカンっとしている私に、疲れたら休む、お腹がいっぱいになったら、横になるのがサモア流だと説明してくれた。

 突然そう言われても、それまでの私には、長年日本で培われた「怠けることは悪いこと」という価値観がしっかり身についていた。休むという行為は、さぼると同義語のような後ろめたい気持さえあった。ましてや、人前で真昼間から寝るという行為には、気がとがめずにはいられない。

 そんな気持ちは、ここでサモアンママたちと過ごすうちに払拭された。ランチタイムを終えると、母親たちは一斉に“マロロ(malolo)”と呼ぶ休憩タイムに突入。“圧巻!”の集団昼寝だ。

 太陽がギンギンと照りつける南の島の午後は確かに気だるい。心と体を健康に保つためには、休むことに“後ろめたさ”なんて感じる必要はなく、それは、生きるためになくてはならないひとときなのだろう。ゆったり、おおらか、のんびり、フレンドリーなどの形容がぴったりのサモアンが、そうありつづけるためには、疲れていてはいけないというのも頷ける。

 固い床で平気で横になる彼女たちに、「背中、痛くない?」とたずねると、「だからサモアンには肉ぶとんがついているのさ、ワッハッハ!」と巨体をゆすりながら答えた。「ここでマロロするにはヤホイも、もっと体にふとんをつけなきゃ!」と冗談を言いながら、お弁当を交換しては、食べた日々が懐かしい。

 この輪に入って、風を感じながらマロロをする心地よさを知って以来、“休息をとること”は私の毎日の暮らしの中で、今も大事にしていることのひとつとなった。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、受験のない世界での、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住。4年間、南国生活を楽しむ。思春期に向かう子どもたちにとっての、より適切な環境を模索する中で、2001年より、アメリカ合衆国、ミシガン州に在住。椰子ノ木やほい“Yahoi”というペンネームは、実はこのファレでサモアンママたちによって付けられた。
関連サイト:我が家が日本を脱出してからの記録「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」、海外在住ライター、フォトグラファーを支援するサイト「海外在住ライター広場」
第3回 「愛しい時間」と感じるとき
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
 「愛しい時間」と感じるとき

 何の変哲もなさそうなこの写真がお気に入りだ。

 ここは、我が家が4年間暮らしたサモアの家の庭だ。同じ敷地内に、大家さんはじめ、その家族、親戚、縁者が大家族を成して住んでいる。夕方になると、いつもシュッシュッシュッシュッ、シュッシュッ。シュッシュッシュッシュッ、シュッシュッ……と小気味のよいリズムが聞こえてくる。大きなマンゴの木が作ってくれる日陰で、隣のお兄ちゃん、レオフィがサモア料理には欠かせない、ココナツクリームを作るためココナツの果肉を削りだした音だ。今日も大人数の食事の準備がはじまった。

 シュッシュッという音に混じって、子どもたちが屈託なく話かける声がこだまし、笑い声が響いてくる。私は、我が家のテラスから子どもたちの様子をぼんやり見つめているのが好きだった。「昨日と同じようにまた食事のしたくがはじまった」「その平和な時の流れのなかで子どもたちが遊んでいる」という、たわいのない時を“感じとること”が心地よかった。「食べるために食事を作る横で、子どもたちが笑っている」それを見つめていられる私の時は、偉く尊いことのように思えた。

 昨日と変わりなく繰り広げられる、単調な光景を眺めながら、あれをして、これもして、あそこに行って、それを買って、この次は、あれもほしいし、これも要る……、という暮らしを続けていたころの日本の私を思い浮かべていた。せわしない日常の中で起こる、すべてのできごとは、どれもこれも、重要なことだったはずなのに、こちらの世界から見るとそうでもなかったなと苦笑した。翻弄されているうちに、目の前にあるもっと大切な瞬間を味わい、慈しむことを忘れていたのかもしれないと思った。

 この写真を見るたび、ココナツを削る音と子どもたちの笑い声が聞こえてくる気がする。そして自分自身の前を過ぎて行く時空を愛しいと感じた日々がよみがえる。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、受験のない世界での、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住。4年間、南国生活を楽しむ。思春期に向かう子どもたちにとっての、より適切な環境を模索する中で、2001年より、アメリカ合衆国、ミシガン州に在住。米国に暮らす現在、つい、つまらないことに翻弄されそうになる自分に呆れては、サモア時代のシンプルライフを懐かしんでいる。関連サイト:サモア時代のリアルタイムを伝える、「Talofa lava from Samoa」我が家が日本を脱出してからの記録「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」、海外在住ライター、フォトグラファーを支援するサイト「海外在住ライター広場」
第4回 商売より大切なこと
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
よく通った店
 サモアには、どんな僻地の村にも小さな店がある。キオスクのような小屋で所狭しと調味料、食品、雑貨などが売られている。車を持たない人々にとっては、手近に最低限の生活用品が手に入りありがたい。経済的にけっして楽ではないサモアの人々は、必要なものを必要なときに要るだけ買う。タバコを1本、バンドエイドを1枚、飴玉1つといった買い方だ。お客のほとんどは顔馴染み。店での人と人とのふれあいは、私が小さかった頃の駄菓子屋を彷彿とさせた。

 サモアで暮らしている間、子どもたちは学校帰りに、お決まりの店に立ち寄り買い食いすることが、ささやかな楽しみであり、日課だった。小銭を握りしめ、アイスポップと呼ばれる氷菓子やバラ売りの飴、中国製の乾燥梅干を1つだけ買い、それを口にほおばりながら帰宅した。

ある時、息子はニコニコ顔で家路に着いた。

「今日は、友だちと3人で寄ったんだ。オレしかお金を持っていなかったけど、1人分のお金でちゃんと3個買えたんだよ」

 おいおい、ちがう……。ギンギラギンの陽射しの下、友だちといっしょに冷たいアイスポップを食べながら下校し上機嫌の息子を眺めた。

 自分の日課を果たすため、いつものとおり20セネ(約10円)でアイスポップを1つ買ったら、お店のお兄ちゃんは子どもの数分くれたのだ。分かち合いを基本とする、サモア社会ではありがちな展開だ。商売ととらえれば、そんなことをしていては、成り立たないだろう。それでも、毎日顔を見せてくれる子どもたちが、そろって笑顔になれることの方が大切だ。

 翌日、「いつもありがとうね」と店のお兄ちゃんに挨拶すると、“Fa'aSamoa! (これがサモア流さ!)”と苦笑いしながら私にもアイスポップをくれた。“人情”という言葉が浮かんだ。人に対する思いやりや慈しみのない社会は、いくら裕福でも寂しいものだ。激しい競争社会で計算高く生きているうちに、こうしたぬくもりをつい忘れてしまわないよう心に留めておきたい。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、受験のない世界での、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住。4年間、南国生活を楽しむ。思春期に向かう子どもたちにとっての、より適切な環境を模索する中で、2001年より、アメリカ合衆国、ミシガン州に在住。関連サイト:サモア時代のリアルタイムを伝える、「Talofa lava from Samoa」我が家が日本を脱出してからの記録「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」、海外在住ライター、フォトグラファーを支援するサイト「海外在住ライター広場」
第5回 真夏の夜のクリスマスキャロル
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
真夏の夜のクリスマスキャロル

 「マヌイア レ キリシマシ マヌイア レ キリシマシ マヌイア レ キリシマシ マレ タウサガ フォウ ♪♪」

 クリスマスソングが聞こえてくる今ごろになると、サモアでクリスマスイブの夜に聴いた、サモア語のコーラスを想いだす。アエイオウと5つの母音から成るサモア語は、あいうえおの日本語の響きと似ていて私の耳には馴染みやすく、そのコーラスは心地よく響いた。

 赤道近くに位置するサモアは常夏の国。日本で暮らしてきた者にとって、クリスマスの頃に暑いというのには、当初かなり違和感を感じた。しかし、そこには暑いからこそのクリスマスがあった。サモアの国民のほとんどがキリスト教徒というお国がら、クリスマス行事は避けては通れない。我が家はクリスチャンではないものの、何でも見てみよう、やってみようの精神で、誘われればいろんな教会行事に顔を出した。イブには毎年、大家さん一家が “クリスマスキャロルの配達ツアー”に誘ってくれた。

 “クリスマスキャロルの配達ツアー”と私が呼ぶのは、イブの夜、大家さんの大家族が所属する教会の一行が集まり、バスや車に便乗して、親戚縁者の家をクリスマスキャロルを歌いながら夜通し巡業するというもの。サモアの家には壁がない。開けっぴろげで、柱と屋根しかない家の構造は、外で歌うコーラスも家の中にいながらにして聴けるので好都合だ。

 大して練習するわけでも、楽譜が読めるわけでもなく、コーラスのパートを決めるわけでもないのに、1人が歌いだすと、そこに混じり重なっていく声が自然に美しいハーモニーを奏で、見事なアカペラとなる。歌声はどんより湿った生温かい空気に溶けて、夏の夜空に響きわたった。

 今、我が家は北米の中でも激寒のミシガン州に暮らす。目の前は銀世界。雪景色の中、クリスマスイルミネーションがキラキラと飛び込んでくる。刺すような空気を感じながらも、目を瞑れば、あの美しいコーラスが聞こえてくるような気がする。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、受験のない世界での、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住。4年間、南国生活を楽しむ。思春期に向かう子どもたちにとっての、より適切な環境を模索する中で、2001年より、アメリカ合衆国、ミシガン州に在住。関連サイト:サモア時代のリアルタイムを伝える、「Talofa lava from Samoa」我が家が日本を脱出してからの記録「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」、海外在住ライター、フォトグラファーを支援するサイト「海外在住ライター広場」
第6回 洗濯
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
風に吹かれる洗濯もの
 私にとって、サモアでのいちばん懐かしいときとは、洗濯の時間だったのかもしれない。スイッチポンで洗って乾燥までしてくれる今となっては、「洗濯の時間を失った」と言っても過言ではない。

 サモアでは、できるかぎりシンプルライフ、スローライフに挑戦しようという意識を持って暮らした。その結果、日本ではあたり前にあった、便利な道具や機器を排除する生活となった。

 コーヒーメーカーなどなくてもヤカンひとつあれば、コーヒーは入れられた。掃除機はなくとも、ほうきと雑巾さえあれば掃除はかんたんにできた。炊飯器はなくとも、大きな鍋でご飯は炊けたし、電子レンジがなくて困ったことはない。

 どっこい、洗濯機がないのは堪えた。家族6人分の洗濯物をバケツに入れて、バスルームで毎日手洗いした。洗い、すすぎ、絞り、干すという流れの中で筋肉痛になってしまい、腰は痛いし、手はあがらなくなって悲鳴をあげた。

 常夏の国だから、洗濯物自体は薄手のものしかない。それでも、シーツやバスタオルを洗って絞るとなると、かなりの重労働だった。あらためて、洗濯機に感謝し、洗濯機を持てなかった時代に生きていた人々のことを想った。もちろん、目の前のサモアの人々だって、ほとんどの人は持っていない。

 筋肉痛に顔をゆがめながら、これはちょっと厳しいかもと思い始めた頃、痛みはなくなった。なんてことはない、洗濯用筋肉がついてきたのだ。それからは、子どもを学校に届けた後、朝のコーヒータイムを済ませると、鼻歌を歌いながら洗濯というのが日課だった。

 手洗いした洗濯物を青空の下でパンパンしながら干す。空を仰ぐと真っ白い雲がぽっかり浮かんでいる。鶏の鳴き声がこだまする。ほのかな洗剤の香りと、常夏の気候の中で咲き乱れる花の匂いとが混じりあい風に運ばれる。

 今想えば、私にとってはそれがサモアの懐かしい香りであり、自然を感じる時であり、大切なメディテーションの時間でもあった気がする。


≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、受験のない世界での、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住。4年間、南国生活を楽しむ。思春期に向かう子どもたちにとっての、より適切な環境を模索する中で、2001年より、アメリカ合衆国、ミシガン州に在住。
第7回 「命いただきます」を意識する暮らし
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
第7回 「命いただきます」を意識する暮らし

 サモアで暮らしていたころには珍しくもなかった、ご馳走を調理する過程のひとコマだ。海で釣ったばかりの魚を捌いたり、辺りを走り回っている鶏や豚を捕まえ調理する様子を見ることは日常だった。

 生きていた動物が、目の前でご馳走になっていくという姿を初めて目の当たりにしたときには、正直いってショックで絶句した。一口にクッキングと言っても、ところ変わればその内容はちがうものだと驚いた。

 首都アピアには、地元の漁師が獲って来たばかりの魚を売るフィッシュマーケットがある。そこではいろんな魚、タコ、ロブスター、カニ、貝などが無造作に置かれていた。大きなマグロはさすがに輪切りになってはいるものの、片腕ほどもあるカツオや鮫などはそのまま並べられていて、魚を買うということは、それを食べるために、自分で捌くことを意味した。

 常夏の気候の中、台所を預かる主婦として包丁を片手に汗だくで魚と格闘したものだ。魚の匂いをどう嗅ぎつけてくるのか、どこからともなくハエと蟻が集ってくるのには閉口したが、自然の威力とは大したものだ。今思えば、あれはけっこうな重労働だった。サモアで暮らすようになり、改めて肉屋や魚屋に感謝したほどだ。

 私が幼きころ、祖母から聞いた。
「ご飯の前に『いただきます』と手を合わせるのは、お食事をいただきますということだけではなく、『命をいただきます』ということだよ」と。

 パック詰めの肉片や魚の切り身ををスーパーで買うという経験しか持ち合わせていなかったころには、ちっともピンと来なかったその言葉が、自身の手によって、「生きとし生けるもの」を捌き、調理するうちに心に染みるようになった。

 今私はまた、パック済みの便利な食材に囲まれて暮らしている。パックに収まった肉片を眺めながら、ふとサモアで捌かれていった動物を思いだすことがある。忘れてはいけない。誰もがいろんな命を頂きながら、自身の糧にしていることを……。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、受験のない世界での、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住。4年間、南国生活を楽しむ。思春期に向かう子どもたちにとっての、より適切な環境を模索する中で、2001年より、アメリカ合衆国、ミシガン州に在住。
第8回 海で過ごしたイースター
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
サモア・ウポル島のアレイパタ海岸
 子どもたちの歓声と波の音を聴きながら、沖合いのリーフで真っ白く砕け散る波をぼんやり見つめている私がいた。2000年イースター休暇のことだ。

 サモア・ウポル島の東端に位置するアレイパタ海岸は、サモアを代表する美しいビーチのひとつ。せっかくの休暇を家族でのんびり海で過ごそうということになり、泊りがけで出かけたのだ。泊まりと言っても、ゴージャスなホテルがあるわけではない。海岸脇には、畳6畳ほどの床が組まれた場所に、簡素な屋根と柱だけをあしらった、ビーチファレと呼ばれる休憩所が立ち並んでいる。いくらか払うと、寝具と蚊帳を貸してくれるので、そこで雑魚寝というのがサモア流だった。

 どうしたらこれほど透き通れるのだろう、と思えるほど澄みきったエメラルドグリーンの海面は、太陽の光が反射してキラキラしていた。絵葉書から飛び出したような景色は、いつまで眺めていても飽きなかった。波が寄せては返る単調な音を聴きながら、水中をスイスイと動き回る魚たちにパンくずをやってみたり、砂遊び、貝殻探し、釣りとのんびり流れる時間の中で、大自然を相手にクタクタになるまで遊んだ。

 陽が落ちると、外灯のない夜の海から見える空には、満天の星が輝いていた。地球上に住むだれもが見る、世界と続く夜空だったが、私には特別な空に見えた。簡素なファレで過ごす質素な旅だったけれど、「平和なとき」を絵に描いたようなシーンの連続を今も鮮明に想いだす。ここにあったものは、空、海、風、静かに流れる時間、そして笑い声だけだった。忙しい日々に追われて、疲れを感じるとき、私はこのときの“時空”が恋しくなる。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住し4年間の南国生活を楽しむ。2001年より、アメリカ合衆国・ミシガン州在住。日本脱出時から早10年が過ぎ、当時の子どもは大人になりつつあるこの頃。HP『ぼへみあん・ぐらふぃてぃ』
第9回 繋がる子どもたち
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
繋がる子どもたち
 サモアの家の庭で息子たちが友だちと遊んでいたのでカメラを向けたら、「ハイポーズ!」
私のお気に入りの1枚だ。

 1997年から約4年間を過ごしたサモアでの暮らし。すっかり慣れた頃にサモアを離れることになり息子たちは残念がった。友だちと別れるのはいつでも、だれでも辛い。しかし、「逢うは別れのはじまり」とも言う。小さな南の国での笑顔の一瞬を、子どもたちがいつまでも忘れないようにと思い、今もリビングルームの片隅にこの写真を飾っている。

 この頃から9年ほど経っただろうか……。発展途上の国でもあるサモアでは、まだまだ電話のない家も多い。自由に国際電話ができる環境が整っているとは言いがたい。戸別に住所がないため郵便配達もない。それぞれの私書箱を知らなければ、手紙を送ることも不可能だ。そんな事情もあり、サモアを離れたあと、子どもたちの交友は途絶えてしまった。

 息子たちの様子から想像しても、ここにいる屈託のない子ども顔の少年たちは今ごろ体格のいい、立派なサモアン青年になっていることだろう。息子たちが、彼らと再び会う機会はあるのかな〜などと思いながら、リビングルームの写真を眺める毎日だったが、少し前に驚くことがあった。

 長男がパソコンの前で「オ〜!!」と叫ぶので、なにごとかと思ったら、写真に写っている、仲よしだったジョンが、アメリカで人気のあるSNSサイトを検索して「みつけた〜!」とメッセージを送ってきたのだ。

 彼はサモアの高校を卒業したあと、奨学金を得て日本に留学というチャンスをつかみ、今では日本語、いや、大阪弁を操るようになっていた。日本語ができるようになり、彼もサモア時代に仲良しだった息子のことを思い出したのだろう。サモアで育んだ友情が絶えてしまったかと思ったら英語でも日本語でもコミュニケーションができる二人となって、再び繋がったのだ。

 大阪弁で伝えてくる彼の近況報告を読んではクスクスと笑っている息子を見ながら、ついこの写真に目をやってしまう私だ。


≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
たくさん撮ったものの、サモア時代に撮った写真の質はとても悪いのがいつも残念だ。当時のデジカメの解像度は今とは雲泥の差、加えてフィルムで撮影した写真も現地で現像したためかどうもきめが粗い。それでも、記憶はだんだん薄れていくので、なんでもないような一瞬を撮った写真が想いでを繋いでくれている。ありがたいことだ。 「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」
第10回 釣り
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
釣り
 南太平洋に浮かぶ島国サモアは、当然のことながら海に囲まれている。我が家が暮らしていたアピアの家から海辺には車で5分。子どもたちの学校がお昼過ぎに終わり帰宅。宿題を済ませ、ひと遊びしギンギンの太陽が傾いた頃には、毎日家族揃って釣りにでかけるのが日課だった。

 息子たちが釣りをしているあいだ、私は海風に吹かれながら夕日が沈むのを見て、夕方の海に水浴びに来る人々に「マロー!」と挨拶を交わす。毎日それを続けているうちに、いろんな人と顔見知りになり常連さんがわかってくるから不思議だ。風が吹くと、プルメリアのいい香りが漂って来た。花を摘んでみたり、芝生に寝そべって昼寝をしたり読書をしたりしながら、釣りが終わるのを待った。運良く魚が釣れた日は釣った魚が食卓に上った。

 釣りにまつわる危ないエピソードもある。ある時、夜釣りを楽しもうと釣竿を投げたら、釣り針が後方にいた末息子の二の腕に刺さった。つまり、魚の代わりに腕を釣ってしまったのだ。釣り針には返しがあるので抜こうにも抜けない。結局、青年海外協力隊の獣医として活動していた隊員にメスを入れてもらい、緊急摘出手術をしてもらうというドジな顛末となった。以来、夜釣りは危険なのでやめたが、そんな釣りを楽しんだ日々が今となっては懐かしい思い出だ。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住し4年間の南国生活を楽しむ。2001年より、アメリカ合衆国・ミシガン州在住。日本脱出時から早10年が過ぎ、当時の子どもは大人になりつつあるこの頃。HP『ぼへみあん・ぐらふぃてぃ』




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