地球丸フォトエッセイ

「地球はとっても丸い」プロジェクトのメンバーがお届けする、世界各地からのフォトエッセイです。
掲載写真・文章の転載については、編集部までご相談下さい。
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第1回 遊びの写真で、“瞬間”と勝負
連載:『宿題を忘れた日』
文・写真:河合妙子(トレド・スペイン)


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遊びの写真で、“瞬間”と勝負


 写真を仕事にして以来、自分の写真に満足することがない。「クライアントさん、気に入ってくださるかしら?」と心配になるのだ。コンピュータの画面で何回も見直しても、「どうかうまく行きますように」と両手を合わせてお祈りをしてからでないと、送信ボタンをクリックできない。写真の仕事がこれほど緊張感を伴うとは、携わるまで知らなかった。

 ところが仕事とは一切関係ない情景に感動して無我夢中でシャッターを押し、気に入った写真が撮れると、我を忘れてうっとりしてしまう。心が自然にはしゃいでしまう。「おめでたいねぇ」と呆れられても、「バカじゃないの」と笑われても、かまわない。素直に楽しいと喜べる幸せを放棄してどうする?

 2005年秋、フランスからのニュース映像がパリ郊外の移民地区で起きた暴動を伝えていた頃、私はパリ中心部の移民街にいた。郊外で暴動を撮って日本のメディアに送ろうとも考えたが、どうしても気が向かなかった。スクープを命じられていたわけではなかったからだ。それよりも、そのときパリに住む移民が何を考えどんな生活をしているかに関心があった。暴動の一方で、アフリカ移民で賑わう市場を喫茶店のガラス越しに眺めながら、大切な事を発見した気持ちになっていた。

 そのときだ。道を渡る二人の女性を目が捉えた。腕が咄嗟に反応し、テーブルの上のカメラを掴むと夢中でシャッターを押した。露出は勘頼み。わたしは宿題も忘れて遊びほうけた頃に戻ったように、目の前のことだけを真剣に追いかけた。

 そういうときの緊張感は何かに似ている。そうだ、勝負だ。「この瞬間を勝ち取りたい」という強欲だ。だから、気に入った瞬間を自分のものにできると嬉しいし、失敗したときの悔しさは半端ではない。

 これからは仕事の写真にも、人に気に入られる写真を撮ろうとするだけでなく、勝負を持ち込んでみよう。勝った写真なら、堂々と送信できるようになるかもしれない。

 
地球丸フォトエッセイ「宿題を忘れた日」では、これから 1年間、宿題を忘れて遊びほうけた頃の童心に戻って撮影した写真とエッセイを掲載していく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

≪河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール≫
フォトグラファー&フリーランス・ジャーナリスト。現在スペイン在住。英・中・仏・西語を使い、取材・撮影・翻訳をする。「美しい部屋」(主婦と生活社)連載「スペインの雑貨的暮らしとインテリア」のほか、雑誌、ムック多数。7月発売『世界のフローリスト巡り』(エクスナレッジ)では、スペインのお花屋さんを紹介。「エコマム」(日経BP)のスペシャル・レポートでは、「カリテ・バターの秘密に迫る」を担当した。
第2回 自分探しをしていた頃の日記
連載:『宿題をわすれた日』
文・写真:河合妙子(トレド・スペイン)

第2回 自分探しをしていた頃の日記 

 アートディレクターのA子と四半世紀に近い時を経て再会した。女子高時代、坂本龍一や立花ハジメやセックス・ピストルズを皆に伝えた子だ。ベルばらのオスカルに似た目鼻立ちだが、乾いたユーモアの持ち主だった。鷹が急降下して獲物を仕留めるように人の面白い一面を見つけては引き出し、それを愛でる才能に長けていた。もし「自分探し」など青臭い言葉が口から飛び出ようものなら、すぐ笑いの標的になる。「自分探し」を熱く語る傾向のあった私は笑いを逆手に取る術を探していたことを、思い出す。

 OL時代、実は自分探しにハマってしまった。旅にも出たが、生活も工夫した。西荻窪の昭和初期風アパートの壁は白いペンキで塗り、骨董店で茶ダンスや浮世絵を買った。友人Bと写真を撮り歩いては彼女の家で現像し、陶芸を習った。音楽はワールド・ミュージック、映画は欧州モノ。自分の立ち位置を決めようと躍起になっていた。この写真を撮ったのが、ちょうどそんな頃だった。

 当時の日記に高校時代の恩師のことが書いてある。


「8月21日(1996年)
行く川の流れは絶えずして……。あなた方はまだ若いからよくお分かりにならないかもしれませんが、人間は今の一瞬を生きる存在。次の一瞬には今の一瞬が死んでいるということです。人間は生きながら死に、死んでまた生きるのです。……O先生のこの言葉が、今に至るまで私の心に残るなんて。『私』は今の一瞬と次の一瞬の通過点に過ぎないのではないか。私はどうやって私であることを把握したらいいの? O先生は、17歳のわたしにその答えを教えずに逝ってしまったので、答えは自分で見つけるしかない」


 O先生は後年アルツハイマーに悩まされ、海の見える老人ホームと漁港のそばの実家を行ったり来たりされていたが、小雨のぱらつくある日、お孫さんの運転する車がミカン畑へ直降。先生はほぼ即死だったそうだ。

 A子はO先生のことを覚えているだろうか。今度会ったときに聞いてみようと思う。

≪河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール≫
フォトグラファー&フリーランス・ジャーナリスト。スペイン在住。英・中・仏・西語を使い、取材・撮影・翻訳をする。「美しい部屋」(主婦と生活社)連載「スペインの雑貨的暮らしとインテリア」のほか、雑誌、ムック多数。5月にはモロッコへ取材旅行をし、来月は北欧へ。スペインでも移動が多いこの仕事は体力が勝負。好きなワインを少し減らし、早起きして散歩しようかな。夢想に終わらないようにしないと!
第3回 外国に憧れた頃
連載:『宿題をわすれた日』
文・写真:河合妙子(トレド・スペイン)

外国に憧れた頃
 子どもの頃、旅番組が好きだった。大人っぽい女優さんが歩く異国の裏道。渋い味のある作家が彷徨う裏町。田舎に住む幼い私の心に外の風を吹きこんでくれる番組があれば、宿題もそっちのけで画面に見入った。

 なぜあんなに家の外に憧れたのだろうか。
「あんたは三歳のころから外国が好きだった」と、今も母が面白がって話す。

「『大きくなったらアメリカに行くの』っていつも言っていたのよ。大工さんが家に来れば膝にちょこんと乗って、『飛行機は怖いからお船で行くの』って」

 飛行機事故のニュースを見たから、「船で行く」って言い張っていたらしい。

 小学四年生になった頃から、映画館に入り浸る楽しみを覚えた。高学年になると、『ベンジー』、『がんばれベアーズ』、『トリュフォーの思春期』といった、子どもが見ても楽しめる映画が公開されるや、毎週日曜日になると、町にできたばかりのマクドナルドで買った、ハンバーガーとフライドポテトを抱えて、午前中から夕方になるまで同じ映画を何度も見た。映画館は私を外国の子どもになった気分にさせてくれる唯一の場所だった。

 それまで一緒に泥んこ遊びをしていた四つ年上の幼馴染みが、中二の夏休みに、アメリカに短期留学することになった。ラッパのジーンズに七分袖のトレーナー、チューリップハットという流行りのいでたちで、手には世に出て間もない『地球の歩き方』を携えた幼馴染のお姉さんが、彼女の腰まではある白いスーツケースを押しながら、田舎の町を歩いていく姿が、今も目に鮮やかに焼き付いている。その時から、私は彼女に憧れた。その後彼女は、外国で博士号を取り、東京の大学で教鞭をとっていたが、昨年、有名私大の英語の教授に昇進する寸前、病気で亡くなってしまった。本当にそういうことが起こりうると知り、愕然とした。

 現在私はスペインに住んでいるものの、以前は台北やパリにも住んでいた。外国に出たり日本に戻ったりを繰り返しているうちに、四半世紀近い時間が過ぎてしまった。私より長い時間を外国に暮らしている人も多いので、四半世紀が長いのかどうかはわからない。ただ、時折、ふと考える。子どもの頃、なぜあんなに外国に憧れたのだろう、と。外国へ行くのも隣町に行くのも私の中であまり変わりがなくなってしまった今、あの頃の心を懐かしく思い出す。

 今は世界のどこへ行っても、メディアが私に刷りこんでくれた「外国」がなかなか見つからない。私が憧れた「外国」はどこにあるのだろう。かつて見た旅番組や映画の中だけに、あるのだろうか。


≪河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール≫
フォトグラファー&フリーランス・ジャーナリスト。スペイン在住。英・中・仏・西語を使い、取材・撮影・翻訳をする。雑誌、ムック多数。5月はモロッコ、10月は北欧。11月はアンダルシアへ2週間の取材旅行。その昔テレビで見て憧れた、女優さんたちのおっとりした旅姿とは程遠く、重い機材を抱えて異国でバタバタする私。憧れたのは、「外国」ではなく、「女優さん」だったのかも。あ〜あ、彼女たちみたいになりた〜い!


第4回 アマポーラが誘う感傷
連載:『宿題をわすれた日』
文・写真:河合妙子(トレド・スペイン)
アマポーラが誘う感傷

 ある日ぶらりとやってきた町に、住みついた。この町には、知り合いはいなかった。この町の言葉も、知らなかった。私にあるものといえば、わずかな貯金と、別の国で取ったばかりの修士号。顔見知りをひとりひとり作ることから、生活をはじめてみた。

 この町とは、今住んでいる、スペイン中央部にある古都、トレドのことだ。日本はコネ社会だというけれど、この町ではコネがなければ、楽しくパン1斤を買うこともできない。知った顔でなければ、人は愛想笑いさえ浮かべない。人の心の冷徹な一面を、図らずもここでじっくり眺めることになった。

 よそ者の私に優しく接してくれたのは、この町に住む数人の日本人だった。食事に招待してくれたり、バーでおしゃべりに興じたり。私と同年代の、スペイン人と結婚している女性たちもよく気にかけてくれたが、在住歴が30年にもなる画家夫婦も二組いて、それぞれ、よく遊びに誘ってくれた。彼らを通じて、少しずつ、スペイン人の顔見知りが増えていった。しだいに、「あなたはあの人の友達なのね!」と初めて会う人との会話も弾むようになり、町が立体的に見えはじめた。新しい知り合いの住む家を、見上げて確認する機会が増えてきたからである。

 さみしさから優しさへ、町の表情が変貌していくように思えたその頃だった、この写真を撮ったのは。与謝野晶子の短歌、「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟」にある火の色とは、この花の赤だ。それがアマポーラだと教えてくれたのは日本人画家のマサオだった。フランスの“雛罌粟”はスペインでも春を象徴する花なのだと知り、この花の妙な存在感に、外に出るたび目が奪われた。その数ヶ月後、マサオは病に倒れ、帰らぬ人になった。

 月日は流れ、私の生活も徐々に変わった。この1枚に写っているアマポーラの群れは、市による雑草駆除の一環で刈られ、もう見ることはない。写真の中でだけ、私を数年前の感傷に誘うのである。

≪河合妙子(かわいたえこ)プロフィール/≫
フォトグラファー&フリーランス・ジャーナリスト。スペイン在住。雑誌、ムック多数。小学生の頃、ひなげしがどんな花かもしらずにアグネス・チャンの「ひなげしの花」を口すさんだ。ケシの花が赤いと教えてくれたのは藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」。“雛罌粟”の別称は漱石の小説にもある『虞美人草(ぐびじんそう)』。日本文化にこんなに深く根ざしているというのに、「ポピー」と聞いて初めてそれらの花の姿を解した自分が悲しい。
第5回 シェフシャウエンの坂道で
連載:『宿題をわすれた日』
文・写真:河合妙子(トレド・スペイン)
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シェフシャウエンの坂道で
 モロッコ北部にシェフシャウエンという白亜の村がある。漆喰の白い壁。青空の色に塗られた少々いびつな扉。唐草模様のおしゃれな鉄格子。そして万華鏡の中の模様のようなタイル。異国情緒に満ち溢れたこの景色も、アンダルシアの白い村を訪れたことのある人にはどこかおなじみの風景となり、別世界に足を踏み入れた感動は薄いかもしれない。けれど「あ、同じだ!」と目が発見し、心は妙な喜びに浸ることになるだろう。

 私が現在住んでいるトレドより以南は、日本では平安時代にあたる頃から数百年間もアラブの国として栄えていた。ところがカトリック教徒による弾圧が15世紀に激しくなり、スペインに住んでいたイスラム教徒やユダヤ教徒の多くがモロッコ北部に逃げたという。アンダルシアの山奥に逃げ、白い村を作ってひっそりと暮らした人々もいた。スペインでは多くの人々が、今もこれらアラブの遺産の中で生活している。

 それは凶暴で激しい時代だったと想像するけれど、あの頃の人々がこうして今二つの国をつないでいるということに、私はどうしても感動を覚えてしまう。シェフシャウエンの坂道ですれ違った、重荷を背負って歩き続ける老婆と血を分けた誰かが、スペインにいるかもしれないのだ! スペイン人と話すときはいつも『この人も、もともとアラブ人だった!』と勝手に想像を膨らませるのだが、こういうことを告げても喜ばない人の方が多い中、「シリアに行ったとき、ここが自分の心のふるさとだと思ったの!」と話してくれる人がいた。こんな感想を聞くと嬉しくなってしまうのはなぜだろう。小さいときから「私はどこから来たの?」と考えるのが好きだったからだろうか。

 ユーラシア大陸の最果てにやって来た異邦人の私が、イベリア半島にいたアラブ民族の大移動についてつべこべ言うのは滑稽に映るかもしれないが、スペインでイスラムの人々を見かけると、『おかえり』と言って迎えたい気持ちになる。

≪河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール≫
フリー写真家&記者。スペイン在住。最新の仕事に「フィガロ・ジャポン」アンダルシア特集号、「かわいい生活」vol.8、エクスナレッジムック『世界のCat Life』。横浜中華街の迷路をさまよい歩くのが大好きだった子どもの頃、久保田早紀の「異邦人」に心を鷲づかみにされたっけ。早速ユーチューブで見ると、“お姉さん”だった久保田早紀の若いこと!そりゃそうだ。すでに私も、2番の歌詞さながら市場をいくつも歩いたのだから……。
第6回 動物たちにありがとう!
連載:『宿題をわすれた日』
文・写真:河合妙子(トレド・スペイン)
動物たちにありがとう!
 昨秋、猫を撮ってほしいと依頼され、フィンランド、スペイン、そしてチュニジアで猫を追いかけた。フィンランドでは、紅葉の始まった広大な庭の草木の茂に隠れたまま、一向に協力態勢を見せてくれないメス猫にしびれをきらし、私の方から近づいた。この写真はその時の一枚だ。「一歩でも近づいたら承知しないよ」とでも言いたげな目にひるみながらも、匍匐(ほふく)態勢で相手の目を見つめている間、茂みの中で猫と妙な一体感を少し覚えたことは確かだ。

 スペインとチュニジアでは、野良猫の撮影に奔走した。人もカメラもものともしない猫キックの応酬で逆に迫られ、腰を抜かしそうになったのは一度や二度ではない。猫は野生の勘で勝算があったのだろうか。へらへらするタイプで家のウサギにもなめられている私の性格は、人にも動物にも簡単に見抜かれてしまうのかもしれない。チュニスでは、猫と格闘しているところをハンサムな男性に写メールされた。まあ、どうせ私の姿がネットに流れたところで 、ユーチューブで笑いネタにされる程度だろうが。盗撮してくれた人と目が合い、一緒に大笑いした。

 ところで、動物たちとカメラを介して向き合うとき、勝負を挑まれたような気持になるのはなぜだろう。彼らは常に魂がむき出しだ。自分本位で気位も高い。そんな彼らを撮るのは、売られたケンカを買うようなもの。一枚でもいいショットを撮れると勝った気持ちになる。だから勝つまで撮りたいし、いい写真が撮れるまでやめられない……。

 撮り終えて我に返った時、熊に襲われて逝去した星野道夫さんの作品を思った。自分の存在も命も大自然に明け渡すことで、引き換えに神聖な動物に近づくことを許されたような真空の世界だ。

 猫は私に勝負を挑んだのではない。どこまで無になれるのか、私が試されたのではないか。撮らせてくれることをありがたく思うべきかもしれない。

≪河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール≫
西仏英中国語と日本語を使って仕事をするため、どこの国の人からも「あらいいわねぇ」と言われていい気分。しかし、そんな私を決してつけあがらせてくれない存在がある。動物と子どもたちだ。甘い言葉もうまい餌もどこ吹く風。人の心の隙をズバッと突いて、気を抜くとこちらがやっつけられてしまうのだ。真剣勝負で撮った猫の写真は、エクスナレッジ『世界のキャットライフ』、『世界のぶす猫でぶ猫』でお楽しみ下さい〜!
第7回 故郷と元彼
連載:『宿題をわすれた日』
文・写真:河合妙子(トレド・スペイン)
故郷と元彼
 「あなたの故郷は日本のどのあたりなの?」と外国の人々によく聞かれる。日本の大都市はすでに有名だが、「小田原」と言ってもわからない人が大部分なので「東京から南に80キロほど行ったところで、電車だと1時間30分、新幹線だと30分くらい」と答え、さらに「海があり、山があり、温泉があって、お刺身がおいしいの!」と付け足すことにしている。相手が「まあすてき!」と言うのを聞くのが嬉しいからだ。

 私自身、この故郷が好きでたまらない。実家があるのは村と呼ぶほうが正しいほど小さい。マンションが増えたとはいえ広い田圃がまだ残り、富士山、箱根山、丹沢連峰が見渡せる。近所のすべての家にも辻々にも井戸があり、水が滾々と湧き出ている。私の実家では飲み水も、風呂もトイレの水も井戸水だ。

 パリに住んでいた数年前、知り合って間もないカナダ人に恒例のお国自慢をしたら、「じゃあなぜ故郷を飛びだして、こんなところに住んでいるの?」と言われ、答えに窮してしまった。私の場合、“来た”というより、探し物をしているうちに知らずに外国に迷い込んでいたという言い方が近い。外国に来た感覚は希薄だ。だがその時ばかりは海も山もない街にいることが淋しかった。

 OL時代、私は西荻窪に住み、吉祥寺で陶芸を楽しんでいたが、面白いことに当時の陶芸仲間のうち3人が私の“村”を気に入り、移り住んで来た。西日が当たると植物の影が不思議な姿で網戸に浮かび上がる台所のある家に住んでいるのは、やはり東京から来た根付師だ。陶芸家の友人たちとこの根付師は、余暇に始めた稲作で馬が合って友達になったと言い、私も仲良くなった。私のいない間に我が故郷に根を張り始めた友人たちは、やがて私よりも土地に詳しくなるだろう。私が密かに楽しみにしていた場所も、もう彼らには知れ渡っている。故郷に帰って彼らに会うとき、私の元彼と今の彼女の間に割り入るような心地がしないと言えば嘘になる。

≪河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール≫
スペインを拠点にヨーロッパ、アフリカ各地を取材するフリージャーナリスト&フォトグラファー。「ヤキトリ」「サシミ」「スシ」「マンガ」はヨーロッパの共通語になっているが、自分からはこの4つになかなか手を出さない。食事はもっぱらワイン、チーズ、生ハムを好んでいるが、さて「マンガ」に当たるものはわたしにとって何だろう? 日本では見る機会がほとんどないドキュメンタリーか映画かな? これでは故郷がますます遠くなる?
第8回 同居人はうさぎの一家
連載:『宿題をわすれた日』
文・写真:河合妙子(トレド・スペイン)
同居人はうさぎの一家
 “家族が増えた”という表現は、子どもが生まれたとかペットを飼うことになった時によく使われるが、我が家では文字通り、一家族増えた。父と母と息子のうさぎ一家だ。離散させるのは忍びなく、去勢も決心できない。3羽とも別の巣を与えているため、一部屋分は彼らの住いだ。従って同居なのである。

 事の起こりは3年前の春。夫がペットショップでメスの白うさぎに一目惚れし、買ってしまったのだ。毎日寂しそうな表情で跳ねる彼女のため、メスの友達を飼うことにした。毛並みの柔らかそうな黒い仔うさぎを手にとったペットショップの店員の、「まだ小さすぎてオスかメスかわからないですけど、多分メスですよ」という言葉を素直に信じたわたしたちがウブだった。それはオスだった。それがわかったのは、白うさぎが子どもを産んだ時だった。

 黒うさぎも「メス」だと信じきっていたわたしたちはそれまで、「同性でも性行為する」とか、「うさぎも想像妊娠する」というネット情報を疑わなかった。だから本当に子どもが生まれたときは、「メス同志でも妊娠するんだ」と思ったほどだった。

 しかしそんな節理など、本当はどうでもよかった。生まれた4羽の健康が気がかりだったのだ。結局3羽は数日中に死んでしまい、一番元気なのが生き残った。ひねもす母うさぎの乳にしがみつく姿はいくら見ても見飽きなかった。母うさぎが再び妊娠しないように、母子は買ってきた別の大きな巣に移したが、時折私たちは「さあ、家族の記念写真を撮ろうよ」と呼びかけ、全く反応してくれない親子をかき集めて写真を撮った。

 「あなた、ありがとう」と母うさぎが夫の耳にささやき、「パパ大好き」と父の頬に口づけをしているかのように見えるこの集合写真を撮っておいてよかった。母うさぎは従順で単純な父うさぎの誘いを常に退け自分だけの世界に浸るのを好み、息子は父と母を平気で犯し飼い主におしっこをひっかける怪物に成長したのだから。


≪河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール≫
フリーランス・ジャーナリスト&フォトグラファー。スペインは「兎の国」という異名を持つほどウサギが多い国。わが居住地トレドの町を一歩出ると、野原はうさぎの穴だらけ、高速道路でもウサギが跳ねまわっている。うちの家族を野原に返すべきかどうか悩みつつも、愛しさが上回って3年目。彼らが悪さしたときには「パイにして食べちゃうぞ」。こちらの友人たちはフォークとナイフを手に、舌なめずりしながらその日を待っている。
第9回(最終回)「ブルキナファソからの手紙」
連載:『宿題をわすれた日』
文・写真:河合妙子(トレド・スペイン)
ブルキナファソからの手紙
 先日、ブルキナファソから手紙が届いた。2年前の夏、ブルキナファソを旅行したときに知り合った少女サリからの手紙だった。私が泊まった、フランス人が経営する宿で働いていたサリは当時18歳。美人でスタイルも抜群だった(今もそうに違いない)。身長は私と同じ160cmほどなのだが、腰の辺りがすっきりしていて、お尻の形が美しかった。歩くと布を巻いた腰が左右にキュッキュッと小刻みに揺れる姿も色っぽかった。

 そこは民家のような宿だった。庭に大きなマンゴの木があり、その下のテーブルで従業員も泊り客も集まってはおしゃべりに興じた。従業員と言っても、オーナーとそのパートナー、そしてサリの3人しかいなかった。湿気があるせいか、木の葉の生い茂る庭も、木洩れ陽も、スコールも、私にインドネシアを思い出させた。庭の写真を撮っていると、サリは写して欲しそうにこちらを見た。「撮ってもいい?」と私が聞くと、「ビヤンシュール(もちろん)」と彼女は笑顔になった。こうして美しいサリを私は何枚も撮らせてもらった。

 彼女に写真を送ると約束したまま、1年半が過ぎてしまった。仕事で出張が続いたり、急ぎの仕事がたまると、どうしても細かい用事が後回しになってしまう。「早く送らなくちゃ」と思っていても、忙しいと忘れてしまう。しかし、取材先であっても旅行先であっても、写真を撮らせてくれた人たちは自分の写真が届くのを楽しみにしているのだ。裏切るわけには行かない。「写真、渡さなくちゃ」と思いながらも日にちが過ぎていく気持ちは、本当に心地悪い。そんな気持ちを1年半も抱えてしまった自分の不甲斐なさを責め、ある日、まとめて送ったのだ。

「約束を忘れていなかったのね、ありがとう! またいつか、会いたいね」。そう綴ってある彼女の手紙に微笑が止まらなかった。「またあなたの写真を撮りに行くね!」と返事を書こうと思っている。ああ、早く返事を出さなくちゃ!


これで私のフォトエッセー「宿題を忘れた日」は最終回です。長い間、お読みくださり、ありがとうございました。


≪河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール≫
フリーランス・ジャーナリスト&フォトグラファー。普通の人の家庭を訪れインテリアを取材したり、旅関係の仕事が増えるにつれ送るべき写真もまた増える。そして私のプレッシャーもまた増える。写真を無事届けたときの安堵感は、いい写真が撮れたときの喜びに勝る。ブルキナファソの子どもたちにも写真を送ったが、無事に届いただろうか?

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