第20回 あの日も遠い過去となり
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
「ちょっくら南の島で暮らしてみよう!」というノリで南太平洋の小国サモアに、家族で飛び立ったのは1997年夏のこと。移住を果たして迎えた初日の朝。私たちが間借りすることになった家の前での記念すべき一枚だ。
「サモアンライフのはじまりはじまり〜」といったキャプションをつけたいところだが、当時長女12歳、長男9歳、次男8歳そして三男5歳の子どもたちの顔はいまひとつさえない。
それもそのはず、“憧れ”のはずの南国生活は、家族6人が暮らすには狭過ぎる部屋、ゴキブリうようよ〜、ヤモリぞろぞろ〜、蚊もハエもぶんぶん〜、そのうえ豚がけたたましいブヒブヒ音で明け方から徘徊するという、予想外の幕開けとなり、大いに落胆、寝不足の朝を迎えたという瞬間なのだ。
カメラを手に写真を撮っている私はまだ30代と若かった。「これから先どうなるのだろう」という不安を悟られまいと、空元気を装いながらファインダーから子どもたちを眺めたあの日はずっと遠い過去になった。
思えば、移住当初は家族そろって、バッタバッタと病に倒れ、カルチャーショックに打ちひしがれたものだ。長女のいちばんの悩みは学校のトイレが汚いというものだった。おまけに、トイレに入るのに先生に言って鍵をあけてもらわないと入れないという常識の違いには、心底たまげたが、それがトイレットペーパー盗難防止対策だったと、あとで納得。
当時ある悩みというのは、人間が生きるうえでの超基本的なことが主だった。米国での暮らしにどっぷりつかっていると、ここでの悩みや困りごとは、ほとんど“贅沢”なことを求めるがゆえのことに思えてならない。そんなことをふと感じる自分がいるのも、かけがえのないサモアンライフを体験したからにちがいない。
今回で、「サモアの想いで」は最終回となります。読者のみなさまありがとうございました。
≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年のんびりゆったり子育てとシンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住し、4年間の南国生活を楽しむ。2001年より、アメリカ合衆国・ミシガン州在住。HP「ぼへみあんぐらふぃてぃ」、サモア在住時の暮らしを綴った電子本『フィアフィアサモア』はでしたる書房で発売中。世界各地に在住のライター、フォトグラファー、コーディネーター、トランスレーターが集う場所、「海外在住メディア広場」の運営・管理人。
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
「ちょっくら南の島で暮らしてみよう!」というノリで南太平洋の小国サモアに、家族で飛び立ったのは1997年夏のこと。移住を果たして迎えた初日の朝。私たちが間借りすることになった家の前での記念すべき一枚だ。
「サモアンライフのはじまりはじまり〜」といったキャプションをつけたいところだが、当時長女12歳、長男9歳、次男8歳そして三男5歳の子どもたちの顔はいまひとつさえない。
それもそのはず、“憧れ”のはずの南国生活は、家族6人が暮らすには狭過ぎる部屋、ゴキブリうようよ〜、ヤモリぞろぞろ〜、蚊もハエもぶんぶん〜、そのうえ豚がけたたましいブヒブヒ音で明け方から徘徊するという、予想外の幕開けとなり、大いに落胆、寝不足の朝を迎えたという瞬間なのだ。
カメラを手に写真を撮っている私はまだ30代と若かった。「これから先どうなるのだろう」という不安を悟られまいと、空元気を装いながらファインダーから子どもたちを眺めたあの日はずっと遠い過去になった。
思えば、移住当初は家族そろって、バッタバッタと病に倒れ、カルチャーショックに打ちひしがれたものだ。長女のいちばんの悩みは学校のトイレが汚いというものだった。おまけに、トイレに入るのに先生に言って鍵をあけてもらわないと入れないという常識の違いには、心底たまげたが、それがトイレットペーパー盗難防止対策だったと、あとで納得。
当時ある悩みというのは、人間が生きるうえでの超基本的なことが主だった。米国での暮らしにどっぷりつかっていると、ここでの悩みや困りごとは、ほとんど“贅沢”なことを求めるがゆえのことに思えてならない。そんなことをふと感じる自分がいるのも、かけがえのないサモアンライフを体験したからにちがいない。
今回で、「サモアの想いで」は最終回となります。読者のみなさまありがとうございました。
≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年のんびりゆったり子育てとシンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住し、4年間の南国生活を楽しむ。2001年より、アメリカ合衆国・ミシガン州在住。HP「ぼへみあんぐらふぃてぃ」、サモア在住時の暮らしを綴った電子本『フィアフィアサモア』はでしたる書房で発売中。世界各地に在住のライター、フォトグラファー、コーディネーター、トランスレーターが集う場所、「海外在住メディア広場」の運営・管理人。
南太平洋の島々をビーチコーミングしてきた私ですが、タヒチとともにサモアはポリネシア文化を代表する島々だという思いは、今も変わらずに持ち続けています。もう一度、その地を踏んでみたいと思わせられる、数少ない国です。
同じ太平洋に面しながら、サモアについて日本で紹介されることは、ほとんどありません。去年の9月29日の、あの津波被害を伴ったM8.1の地震災害のニュースぐらいしか思い当たるものがありません。それだけ、一般の日本人には遠い国なんですね。やほいさんのHPに「現在の日本とは正反対の国という印象を持っています(悪い意味ではない)」と一番最初に書かせてもらったことをよく覚えていますが、地震のニュースを見ていたとき、サモアもかなり変わったなという思いを抱きました。時代とともに人も変わっていきます。サモアの国が変わるのも当たり前ですね。やっぱりボクのサモアは、もう歴史になってしまったみたいです。
やほいさんには、長い間サモアについて楽しませていただきました。寂しいですが、ボクもパルサミの名前を使うのも、これで終わりです。お世話になりました。ありがとうございました。(といいながら、いつか「あのパルサミ」の名前で、やほいさんとまたお話できる日を楽しみにしています!)
ここに書かせていただくことで、私のサモア体験がよりいっそういとおしいものになりました。引き出しをあければ、いくらでも書きたいことは出てくるし、読者の方から「終わって残念」という声も届いているので、これっきりというつもりはないのですが、サモア流にいえばしばらくマロロです。
また復活する日もあるかもしれないので、そしたら“パルサミ”さんも登場して下さいね。いつかサモアでオフ会しますか?
「マロロ」について、やほいさんはここでは第2話で取り上げられました。日本とは正反対の価値観に基づくサモアのこの慣習。今回20あったやほいさんのサモア話の中で、今の日本人には一番受け止めにくいものだったかもしれません。その証拠に、第4話の「分かち合い」の文化は紹介した人全員に好評でしたが、マロロの方にはほとんど反応がありませんでしたもん(ちょっと残念に思いました)。うーん、アレはやっぱりあの光の下で貿易風を感じながらやった者でなければわからないのかなぁ。。。
今一度、皆さんにも読んでいただきたいと思いますので、第2話のURLを書いておきます。
http://gogo.chips.jp/phessay/samoanoomoide_2.htm
サモアでオフ会ですか? 名古屋でより断然いいですね!
いつまでも変わらない所でやりましょう。ボクが一番行きたいのはバエア山山頂ですが、ここはやほいさんから却下されそうですね。(第15話)
じゃ、これもきっと変わらないであろう、水曜日の夜、アギーのフィアフィアで逢いましょう♪