地球丸フォトエッセイ
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「地球はとっても丸い」プロジェクトのメンバーがお届けする、世界各地からのフォトエッセイです。<br />
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「地球はとっても丸い」
2010年以降の記事は chikyumaru.net でどうぞ。
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2015-02-05T06:35:00+09:00
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第9回 bánh xèo・バインセオ −ベトナム−
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
アジア圏の料理は、見た目や味付けがかなり違っていても、やはりどこかにあい通ずるものがあるように感じる。ベトナム料理もそのひとつ。ごはんを食べる国という印象はさほどないが、確実に米文化圏である。ただ...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
アジア圏の料理は、見た目や味付けがかなり違っていても、やはりどこかにあい通ずるものがあるように感じる。ベトナム料理もそのひとつ。ごはんを食べる国という印象はさほどないが、確実に米文化圏である。ただ、その米をごはんという形だけでなく、さまざまに加工して使うところにベトナムらしさがあるのだろう。
今やすっかり世界各地で知られるようになったフォーは米から作られた麺であり、ベトナム料理といえば誰しもイメージする生春巻き、ゴイクンも米粉を蒸してつくるライスペーパーで巻かれている。そして、米粉だけの加工品だけでなく、料理にも使われる。その代表的な料理がバインセオ(地域によってはバンセオとも発音される)。ベトナムでも、おもに南部で食べられる庶民の味である。
小麦や米などのでんぷんの粉を水やだし汁、ミルクなどで溶いた生地を焼く、というスタイルの料理は世界各国にある。日本のお好み焼きやもんじゃ焼き、フランスのクレープなどがよく知られるところ。そして、このバインセオは、日本語ではベトナム風お好み焼き、欧米ではベトナム風クレープと呼ばれることが多い。
実は私、この◯◯風という表現には、かえってイメージから外れていると思われるものも少なくないとつねづね思っているのだが、この料理もしかり。お好み焼きともクレープとも似て非なるものである。特徴は、ベトナム料理らしく米粉を使い、ココナッツミルクで溶くというところ。これに、うこん(ターメリック)を加えてパリっと焼き上げた皮で、炒めた具を包む。こんがりと焼けた半円形の黄色い生地なので、一見おおきなオムレツのようにも見える。
具は豚肉やエビ、もやし、玉ねぎなどの野菜を炒めたもの。特にもやしは欠かせない食材で、しゃきっと歯ごたえが残るくらいにさっと炒めたもやしと、パリッとした皮がおいしいバインセオの必須条件。そして、もうひとつ特徴的なのはその食べ方。バインセオはレタスなどたっぷりの葉物野菜とともに供される。バインセオを手でちぎって、この葉っぱでくるくると巻き、酢、ヌックマム、砂糖、唐辛子などを合わせたスイートチリソースにつけて食べるのだ。
各国にあるこのスタイルの料理の中でも、抜群に野菜がたっぷり摂れるのが大きな魅力。ぜひ、お好み焼きやクレープとの違いを感じつつ、味わってほしい一品である。
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。秋から冬にかけては、おいしいものが目白押し。さすがの私でも食欲が落ちるほどの暑い夏のあとだけに反動がコワイ。
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『旅する胃袋』/長晃枝
2010-11-25T06:22:14+09:00
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第18回 アマゾンの秘薬
連載『パパイヤ・マンゴー・リオデジャネイロ』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
実は今、アマゾンの植物を使用した製品の魅力にとりつかれている。といっても大手化粧品メーカーが出している、アサイーやクプアスー入りのシャンプーやクリームでは...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
実は今、アマゾンの植物を使用した製品の魅力にとりつかれている。といっても大手化粧品メーカーが出している、アサイーやクプアスー入りのシャンプーやクリームではない。アマゾン森林がもたらす自然の恵み、古くからインディジナに伝わる薬草で、原液や乾燥させた葉をそのまま使用する。
きっかけは、アマゾン地方の小さな露天。小瓶がずらりと並ぶ狭い店内に、小屋を囲むように吊り下げられた奇妙な粉や乾燥植物。強心剤、整腸剤として知られるガラナ、免疫強化作用で有名なキャッツクローをはじめ、様々なアマゾンの薬草が勢ぞろいだ。現在ブラジル政府指定の保護地区で生活するインディジナをのぞき、かつての先住民たちは街で生活している。「私の家族は祖父の時代に街に来たわ。仕事をしてお金をもらって食べていく。そんな生活に慣れたから森には戻らない」という露天商のマリアさんだが、祖父の代から伝えられた知恵を生かして薬草を販売している。
アマゾン地方で生活する人々にとって、薬草は必需品である。第一に私が購入したのは、アマゾン地方では一家に一瓶あるというアンジローバのオイルの小瓶。喉の痛み止めに、筋肉痛のマッサージに、そして虫除け、火傷、しみに効果があるとまさに万能薬。汚れも落とすので、現在化粧落としに使用中。そして大酒のみには、胃腸、肝臓にきく薬草、ベロニカ。ついでに二日酔いに良く効くカラパナウーバの粉もゲット。この二つは購入後半年ですでになくなった。コパイバは日本では高価格だというはしたない理由で購入。8レアル(約400円)。胃炎に効くとのことで、朝のミルクやジュースに1,2滴加えている。
これらの薬草は、実はリオデジャネイロなどの都市でも購入できる。オーガニック製品を扱うショップや、薬草専門店で販売しているのだ。ブラジルにきたら、インディジナが伝える自然の恵みをぜひ試してほしい。アマゾンに足を運んだ際は、小さな露天で先住民の知恵を授かろう。あなたにぴったりの薬草が、必ず見つかるはずだ。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジ ル在住10年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや7年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に夜の街に出没し、サンバのステップに足を絡ませる日々を過ごす。ブラジルをあそぶブログ
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2010-11-25T00:18:06+09:00
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第20回 あの日も遠い過去となり
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
「ちょっくら南の島で暮らしてみよう!」というノリで南太平洋の小国サモアに、家族で飛び立ったのは1997年夏のこと。移住を果たして迎えた初日の朝。私たちが間借りすることにな...
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
「ちょっくら南の島で暮らしてみよう!」というノリで南太平洋の小国サモアに、家族で飛び立ったのは1997年夏のこと。移住を果たして迎えた初日の朝。私たちが間借りすることになった家の前での記念すべき一枚だ。
「サモアンライフのはじまりはじまり〜」といったキャプションをつけたいところだが、当時長女12歳、長男9歳、次男8歳そして三男5歳の子どもたちの顔はいまひとつさえない。
それもそのはず、“憧れ”のはずの南国生活は、家族6人が暮らすには狭過ぎる部屋、ゴキブリうようよ〜、ヤモリぞろぞろ〜、蚊もハエもぶんぶん〜、そのうえ豚がけたたましいブヒブヒ音で明け方から徘徊するという、予想外の幕開けとなり、大いに落胆、寝不足の朝を迎えたという瞬間なのだ。
カメラを手に写真を撮っている私はまだ30代と若かった。「これから先どうなるのだろう」という不安を悟られまいと、空元気を装いながらファインダーから子どもたちを眺めたあの日はずっと遠い過去になった。
思えば、移住当初は家族そろって、バッタバッタと病に倒れ、カルチャーショックに打ちひしがれたものだ。長女のいちばんの悩みは学校のトイレが汚いというものだった。おまけに、トイレに入るのに先生に言って鍵をあけてもらわないと入れないという常識の違いには、心底たまげたが、それがトイレットペーパー盗難防止対策だったと、あとで納得。
当時ある悩みというのは、人間が生きるうえでの超基本的なことが主だった。米国での暮らしにどっぷりつかっていると、ここでの悩みや困りごとは、ほとんど“贅沢”なことを求めるがゆえのことに思えてならない。そんなことをふと感じる自分がいるのも、かけがえのないサモアンライフを体験したからにちがいない。
今回で、「サモアの想いで」は最終回となります。読者のみなさまありがとうございました。
≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年のんびりゆったり子育てとシンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住し、4年間の南国生活を楽しむ。2001年より、アメリカ合衆国・ミシガン州在住。HP「ぼへみあんぐらふぃてぃ」 、サモア在住時の暮らしを綴った電子本『フィアフィアサモア』 はでしたる書房で発売中。世界各地に在住のライター、フォトグラファー、コーディネーター、トランスレーターが集う場所、「海外在住メディア広場」 の運営・管理人。
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『サモアの想いで』/椰子ノ木やほい
2010-10-25T00:57:48+09:00
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第8回:Cream tea クリームティー −イギリスー
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
タイトルを読んで「なんだ、今回は食べ物じゃなくてお茶の話か」と思われたみなさん、どうぞご安心を。クリームティーとは、クリームたっぷりの紅茶のことではなく、イギリスなどに古くから伝わる喫茶習慣のひと...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
タイトルを読んで「なんだ、今回は食べ物じゃなくてお茶の話か」と思われたみなさん、どうぞご安心を。クリームティーとは、クリームたっぷりの紅茶のことではなく、イギリスなどに古くから伝わる喫茶習慣のひとつ。遅めの午後に小腹を満たす、お茶とお菓子のことで、一般的には、たっぷりのポットティーとスコーンのセットをさす。
イギリスのティータイムといえば、三段プレートに小さなサンドイッチやケーキが色とりどりに盛られた豪華なセットをイメージする人も多いだろう。しかし、イギリス人とて、みんながみんな、毎日そんなティータイムを過ごしているわけではない。とはいえ、夕飯のスタートが遅めのこの国では、午後のティータイムは欠かせない。そこで、このクリームティーを楽しむというわけだ。
日本のおやつタイム、3時よりちょっと遅め、だいたい夕方の4時頃が一般的なクリームティーの時間。紅茶は、できればストレートでも楽しめるダージリンやディンブラなどすっきり系を選ぶとよいとされる。なぜなら、スコーンに添えるクロテッドクリーム(Clotted cream)がかなりヘビーだから。さらには、焼きたてのスコーンそのものや、クリームとともに欠かせないジャムの味わいを楽しむためとする説もある。ジャムは好みにもよるが、スタンダードなのはストロベリージャム。この組み合わせは、まさに絶妙の一語に尽きる。
クロテッドクリームとは、高脂肪のミルクを弱火で煮詰め、一晩おいて表面に固まった脂肪を集めたもの。畜産が盛んなデボン州やコーンウォール州の名産のため、デボンシャークリーム(Devonshire Cream)、コーニッシュクリーム(Cornish Cream)などとも呼ばれる。表面は黄色く、クラストと呼ばれるざらつきのある膜で覆われており、その下にほんのり黄色いやわらかいクリーム層がある。60%程度とされる脂肪分も、またその味わいも、バターと生クリームの中間にあたり、ホイップドバターのような食感。スコーンには欠かせない名脇役である。
そして、これは私のまったく個人的な見解だが、スコーンはおいしすぎてはいけない……と思う。甘味は小麦粉本来の甘味程度で、ややボソッとしていて、クロテッドクリームとジャムが加わって初めて完成される、アンサンブルのひとつのパートでなくては。ずいぶんといろいろなスコーンを食べ比べたが、東京で手に入る最近のスコーンは贅沢な材料を惜しみなく使っているのか、やけにリッチでしっとりやわらかかったりする。単体ではそれを「おいしい」というのだろうが、どうもピンとこない。
はたして、ロンドンではイメージ通りの、上下にきれいにパカっと割れるボソッとしたスコーンに、日本ではなかなか手が出ない価格の本場もののクロテッドクリームをたっぷり、そしていちごジャムもしっかりのせて、思う存分その組み合わせの妙を堪能。ポロポロ崩れるスコーンの屑をこぼしながら「あ〜、シアワセ!」と心から感じられる午後のひとときを楽しんだのであった。
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。この夏は、念願かなってアジア脱出! かつてはうまいものなしの悪評高かったロンドンでも、最近はけっこうおいしいものが食べられるようになったと噂には聞いていたけれど、たしかに久しぶりに訪れたロンドンでは予想を上回るおいしい旅が楽しめてよかった!
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『旅する胃袋』/長晃枝
2010-09-25T02:17:05+09:00
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第17回 宝石の街の絞首台
連載『パパイヤ・マンゴー・ブラジル』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
「宝石の鉱山」、ミナスジェライス州。その昔、ダイヤモンドや金を求めて、ヨーロッパから多くの白人が押し寄せた場所だ。世界の金全体の85%が掘り出されていたというその時期...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
「宝石の鉱山」、ミナスジェライス州。その昔、ダイヤモンドや金を求めて、ヨーロッパから多くの白人が押し寄せた場所だ。世界の金全体の85%が掘り出されていたというその時期は、黄金時代と呼ばれ栄えた。そしてそのために、多くの黒人奴隷がアフリカから連れてこられた土地でもある。掘り出された宝石は「Estrada Real」(王の道)と呼ばれる街道を通り、リオデジャネイロの港からヨーロッパへと渡った。街道沿いには大小の街が連なり、今でもその当時の面影を残している。バロック様式のカトリック教会、石畳の小道、街全体が植民地時代の文化遺産のようだ。
忘れてはならないのはそのすべてが、黒人奴隷の血と汗から生み出されたということだ。そしてキリスト教を強制され、改心するものが多かった中、奴隷のための教会が各地に建てられた。ブラジルで黒人の守護神として知られる、ロザリオの聖母マリアを奉る、ロザリオ教会がそれだ。そしてまた多くの街で、ロザリオ教会とは離れた場所に、奇妙な十字架が掲げられた。ナイフやフォーク、金づちやハシゴが付いている白い十字架だ。これらはイースターのシンボルと呼ばれ、キリストの受難を偲ぶ象徴である。
十字架のある場所はその昔、絞首台があった。売買され、過酷な労働を駆使させられた果てに、その命が奪われた場所である。黄金時代のブラジル経済を支え、そこで人生を終えざるを得なかった奴隷達の受難を、キリストのそれと重ね合わせたのだろう。
王の道沿いのとある宿場町では、街外れにある十字架の周りは小さな広場となっていた。お年寄りは日光浴を楽しみ、子ども達が走り回るのどかな場所だ。しかしその街の高級レストランは白人で占められ、十字架のある低所得層地域には黒人しかいない。負の歴史から抜け出せないでいる、ブラジルの一面を垣間見たような気がした。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジ ル在住10年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや7年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に夜の街に出没し、サンバのステップに足を絡ませる日々を過ごす。ブラジルをあそぶブログ
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2010-09-25T00:10:41+09:00
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第10回 グアテマラのレインボーバス
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラには鉄道がないため、移動手段は車になる。最近自家用車を持つ人が増えているが、バスを利用する人が大多数だ。スリや強盗の被害が多い首都...
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラには鉄道がないため、移動手段は車になる。最近自家用車を持つ人が増えているが、バスを利用する人が大多数だ。スリや強盗の被害が多い首都グアテマラシティーでは、プリペイドカード清算の機械を搭載した最新バスが導入されたが、地方へのローカルバスは昔ながらのボンネット型バスが使われている。
アメリカのスクールバスのお下がりをカラフルな色に塗りなおし、バス会社の名前や、オーナーがつけたバスの愛称(ほとんどが女性の名前)も書かれたバスは、見ているだけでも楽しい。遠くからでも自分が乗りたいバスが分かるほど、しっかりとバスの色が定着している。グアテマラはレインボーカラーの国とも呼ばれるが、カラフルバスもこれに大きく貢献している。
バスが色鮮やかになったのは、グアテマラの識字率に関係していると言われる。現在もグアテマラの識字率は70%を割るが、10数年前はバスの前に書かれている行き先を読めず、立ち往生する人が多かったらしい。地方と首都部を結ぶバスは、地元のオーナーが仕切っており、それならと、オリジナルカラーを車体に塗るようになった。私の住むソロラのバスは、濃い緑とクリーム色の組み合わせ。この色のバスを見つけ乗れば、字が読めなくとも安心してバスに乗ることができるのだ。それが現在にも受け継がれ、しっかりと浸透している。
スクールバス仕様のため座席も子どもサイズだが、子どもの二人掛用に三人座るのは当たり前。座席からはみ出した人どうしが、中央の通路で上手い具合に支えあい空気椅子状態になっている。料金を払わない子どもたちは、母親の背中やひざの上にのる。それにもあぶれた子どもは座席のそばにへばりついている。
この中をアユダンテ(助手)が運賃を徴収して回る。客の乗り降りが多くとも、それぞれどこから乗ったかちゃんと覚えている。通路にはみ出し座っている人や、通路に立っている子どもたちで隙間もないが、そこは慣れたもの。乗客を前や後ろに押しやり、座席の上を渡り、しっかり取り立てていくのだ。
グアテマラを爆走するレインボーバス。運転手のハンドルさばき。大音量のラテン音楽、次々と乗りこんでくる物売りたち。隣の人との笑顔のやり取り。退屈する間もなく、数時間が過ぎていく。
≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住12年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。仕事=旅は素敵な方々と出会うことのできる、私にとっての宝物。グアテマラの友だちから「光代は僕たちよりグアテマラを知ってるよね」とお褒めの言葉を頂いている・・・。ホームページ
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『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑)』/白石みつよ
2010-08-25T08:46:53+09:00
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第16回 姿を変える巨大な水の流れ
連載『パパイヤ・マンゴー・ブラジル』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
世界最大の河川。世界最大の流域面積。水の量は世界の全河川の3分の2にあたるとか。
アマゾン河。熱帯雨林のジャングルを押し破るように流れるこの河を、一言で表現する...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
世界最大の河川。世界最大の流域面積。水の量は世界の全河川の3分の2にあたるとか。
アマゾン河。熱帯雨林のジャングルを押し破るように流れるこの河を、一言で表現することは難しい。
初めてアマゾン河を目にしたのは、アマゾン地域最大の都市、マナウスに降り立った時である。飛行機を包み込んでしまうかのような巨大な水の流れが窓越しに広がった時、「ブラジル!」「アマゾン!」の叫び声が機内にこだました。アマゾンの巨大さ、自然の壮大さに誰もが胸をふるわせたのだ。実際アマゾン河を空から望んだ衝撃は言葉にならない。数多くの支流が交じり合い形成される、巨大な水のうねりはまさに地球最後の水資源の宝庫であり、広がる熱帯雨林は地球の肺なのだ。
河の流れは絶えず変化しているといわれている。乾季と雨季では水面が20メートル以上も違うところがあり、乾季に陸地であったところは雨季には水に沈む。写真は雨季の終わりの様子だが、木が生い茂っている部分は次の雨季には水の底かもしれないし、その次の乾季に陸地になるのかは誰も知らない。年々雨季と乾季を繰り返すなか少しずつ姿を変えて流れ続けている。
別の都市に移動するため、飛行機で河の真上を飛んだ。夕日に照らされ鏡のように輝く水面と大きく蛇行する中州がつくりだす風景は、まるで抽象画のようだ。次の季節にはまた形を変えるであろうその姿は、そこに潜む数々の生き物のざわめきをのみ込み、ただただ静かで大きかった。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジ ル在住10年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや7年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に夜の街に出没し、サンバのステップに足を絡ませる日々を過ごす。ブラジルをあそぶブログ
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2010-07-25T01:45:26+09:00
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第7回:Pate de Coings パート・ドゥ・コワン −フランス−
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
フランスを訪れるのは12年ぶり。日本とも、アジアともまったく異なる空気に、香りに、色合いに、少々浮かれ気味の私。高級なフランス料理がおいしいのは、ある意味では当然のことだが、ごく日常的に食べるものが...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
フランスを訪れるのは12年ぶり。日本とも、アジアともまったく異なる空気に、香りに、色合いに、少々浮かれ気味の私。高級なフランス料理がおいしいのは、ある意味では当然のことだが、ごく日常的に食べるものがどれもこれも本当においしいのは、やはりこの国の人々の「おいしいものに対する思い」が強いからだろうとつくづく感じる。そして、その代表格がパンとチーズである。
ちょっと歩けば、かならずboulangerie(ブーランジェリー=パン屋)とfromagerieチーズ屋)に行き当たる。もちろん、店ごとに自慢の品揃えで、お客を待つ。そのウインドーを、ウキウキワクワクしながら子どものようにのぞく自分が、ちょっと滑稽だな……と思いながらも、この上なくシアワセでもある。特に、ガラスケースの中でさまざまな色と香りに輝く、日本ではなかなかお目にかかれないか、あっても非常に高価なチーズの数々は、私にとって宝石より魅力的だ。
しかし、今回紹介したいのは主役のチーズではなく、その主役をグッと引き立てる名脇役のほうである。お皿の上の、向かって左側に存在感たっぷりに鎮座まします羊羹……ではなく、パート・ドゥ・コワン。実際、見た目だけでなく口にしても、以前に食べたことのある「柿の羊羹」に極めて近い。
それもそのはずで、これは果物に砂糖を加えて煮詰めて固めたもの。pate(パート、ここでは表記できないが、正しくはaの上に山型のアクセント記号)は生地、またはペースト状のもののことで、pasta(パスタ)の語源といわれる。Coings(コワン)は、マルメロと呼ばれるカリンに近い種類の果物。少しザラリとした食感とほのかな香りは、たしかにカリンのよう。ジャムなどにとろみをつけるのに使われる食物繊維であるペクチンを多く含むマルメロは、しっかり煮詰めて冷ませば自然と固まるのである。
え、甘いの? と思われる方もおられるかもしれないが、チーズはフルコースのデザートに出てくるくらいで、また、甘いものとしょっぱいものの組み合わせは、これまた絶妙。このお皿の上のチーズも、一番奥にある丸いチーズには干したぶどうとパイナップルがまぶしてあり、手前のチーズの上に乗っているのは、しいたけの佃煮ではなく甘く煮たイチジク。このほか、塩気の強いブルーチーズには蜂蜜を合わせたりもする。
これまで、パーティーでplateau(プラトー=盆)と呼ばれるチーズの盛り合わせにちょこっとだけ乗っていたこのパート・ドゥ・コワンを、その正体が何なのかよくわからないままに食べたことはあったが、これだけしっかり食べたのは初めて。そして、その魅力にハマってしまった。この自然な深みのある甘みと、チーズの塩気が相まって、おいしいチーズがさらにおいしくなるのだから。もちろん、さまざまなチーズとともに、自分用のおみやげに買って帰ったのはいうまでもない。
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。この夏は、念願かなってアジア脱出! 久々に訪れたロンドン、そしてパリとパリ郊外のノルマンディーで、またまたおいしいものを堪能。
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『旅する胃袋』/長晃枝
2010-07-25T00:05:59+09:00
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第19回 「自然との共生」を懐かしむ
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
常夏の国サモアには、バケツをひっくり返したような雨が延々と続く雨季がある。その湿度といったら半端ではなく、洗濯物にまでカビがはえるほどだ。ジトジトする暑さに耐え切れず...
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
常夏の国サモアには、バケツをひっくり返したような雨が延々と続く雨季がある。その湿度といったら半端ではなく、洗濯物にまでカビがはえるほどだ。ジトジトする暑さに耐え切れず、「今日のシャワーは雨水にしておこう」と、どしゃ降りの外に飛び出した日のひとコマ。
雨が降り続く時期には、「雨が降っていない」という“つかの間”も「ありがたい」と感じた。さわやかな貿易風のそよぐ乾季には、さらに気持ちのよい涼を運んでくれるスコールの“降る雨”にも感謝できた。
南の島サモアでは、こうした自然の恵みのおかげで、花は次々に咲き乱れ、芝は瑞々しく、南国独特のフルーツはたわわに実をつけていた。ほとんどの村の水源はタンクに貯めた雨水だが、豊富な雨量のおかげで、水道設備のない地域もなんとか水のある暮らしができている。もっとも「自然に頼る」しかない水が、人々にとって貴重であることにかわりはない。
こうした「自然との共生」が当たり前だったサモアを離れ、ミシガンで10回目の夏を迎えている。
春から夏のあいだ、ハウスオーナーは庭の芝を青々とさせ、庭木を美しく保つことに躍起になる。雨乞いに頼らなくても良いように、庭には潅水システムが導入されている家も珍しくない。少々、水道代が高くつこうとも、庭じゅうの地中に埋められたホースから定期的に散水される。クリーンな水道水はときに、夕立ちの雨の中でもまかれている。スイッチを入れる手間さえ惜しみタイマーでプログラムされているからだ。
サモアで暮らした経験を持つ私にとって、美しさを保つためとはいえ、除草剤入り肥料をたっぷり散布し、手を抜くための無駄な放水をすることがつい滑稽に見えてしまうどころか、人間のエコイズムとさえ感じてしまう。根本的な価値観がちがうここでは、人工的なあの手この手を「不自然」と感じる人は少ないかもしれない。逆に、サモアの人々が「自然との共生」を意識したうえで自然に逆らわない暮らしをしていたとも思えないが、自然に逆らわない、風土にあった暮らしを営むことは、先進国ほど難しいことなのかもしれないと思うこの頃である。
≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年のんびりゆったり子育てとシンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住し、4年間の南国生活を楽しむ。2001年より、アメリカ合衆国・ミシガン州在住。HP「ぼへみあんぐらふぃてぃ」 、サモア在住時の暮らしを綴った電子本『フィアフィアサモア』 はでしたる書房で発売中。世界各地からの子育て事情を伝える『地球で子育て! 世界のお父さん・お母さんバンザイ』 サイト運営・管理人。
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『サモアの想いで』/椰子ノ木やほい
2010-07-25T00:00:07+09:00
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第14回 走れ!ママ&キッズ
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
コンクリートジャングルのイメージが強い香港だが、実は面積70%以上は緑なのである。毎年11月ごろから5月ごろまでの、比較的湿度が低く過ごしやすい期間、離島をはじめ香港各地でマラソンやトライ...
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
コンクリートジャングルのイメージが強い香港だが、実は面積70%以上は緑なのである。毎年11月ごろから5月ごろまでの、比較的湿度が低く過ごしやすい期間、離島をはじめ香港各地でマラソンやトライアスロン、そしてカヤックやアブセーリングなども含むアドベンチャーレースなどが開催される。
5月の第2日曜日に開催されたレースは山をふたつ登り、ダムを泳ぎ、川の中やビーチを走るというアドベンチャーもの。ヘルメットを着用し、キャメルバッグ(水の入っているリュックサック)を背負う参加者の中には、多くのママたちの姿もある。早起きして自分の準備をした後、家族の朝食を用意してからスタートにかけつけた様子。ホッとしたのもつかの間、レース開始の笛が響く。ゴールで首を長くして待っているのはパパに連れられた子どもたち。誇らしげに手作りの「母の日」カードを手にしている。汗だくになってゴールする母親に飛びつき「ママが一番だよ!」とささやいていた。
それから2週間後、同じ島で子どものトライアスロンが開催された。6歳から14歳の自転車を持ち、泳げる子どもたちに参加資格がある。8歳以下のカテゴリーは初出場の子どもが多く、親の方が緊張しているようだ。レース前には子どもと一緒に順序の確認をし、泳いだ後自転車に乗りやすいように靴をアレンジしたりと、落ち着きがない。ゴールでは右手にはカメラ、左手にはビデオを持った親たちがハラハラしながら子どもの帰りを待っている。初めての体験をした子どもたちの瞳は、ゴールで首にかけてもらった金メダルのように輝いていた。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。現在、香港に補習校を設立しようと奮闘中(オンライン署名)
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『香港の離島から』/みゆきりん
2010-06-25T05:42:03+09:00
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第9回 グアテマラの生命
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
中米に人類が住み始めたのは、紀元前11,000年頃にさかのぼる。諸説あるが、ベーリング海を渡ってきたモンゴロイド系の人という説が有力だ。
もち...
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
中米に人類が住み始めたのは、紀元前11,000年頃にさかのぼる。諸説あるが、ベーリング海を渡ってきたモンゴロイド系の人という説が有力だ。
もちろん、はじめは自然の恵みを採取することで人々は生きていた。家族が増え、組織だった社会が生まれてくる中で、食べ物の栽培もはじまる。
グアテマラが位置する中米の主食はとうもろこし。農村部では1日三食。都市部でも一食は必ず食べる。とうもろこしの栽培が始まったのは紀元前3500年頃。人の親指ほどしかない「テオシント」と呼ばれるイネ科の植物が、原種といわれている。よい種を選び出し、栽培しながら改良されていく中で、現在この辺りで見られる品種となった。
驚くべきは、現在も数千年前とほぼ同じプロセスでとうもろこしが育てられていることだ。雨が降る前に鍬で大地を耕し、畝を作る。棒で開けた深さ5cmほどの穴に、5粒のとうもろこしと3粒のインゲン豆の種をまく。インゲン豆は、フリホーレスと呼ばれる副食でとうもろこしと同様大切な食べ物である。
雨季になり雨が大地に降り始めると、芽が出る。まっすぐ茎を伸ばしていくとうもろこし、その茎にからまるように育っていくインゲン豆。主食であるとうもろこしと副食のインゲン豆が一緒に育っていくのだ。栄養学的にも補い合っていることが科学分析の結果分かっている。
人の知恵はなんと偉大だろう。そしてそれを守り続け、気が遠くなるほどの時間同じ方法で育て続けている、グアテマラの人々も偉大だ。
マヤの世界には方角に色がある。太陽が出る東は赤、沈む西は黒。風が吹いてくる北が白。南は黄色でとうもろこしがシンボル。そして命が生まれ育つ場所と考えられている。
5月末、この地を襲った台風アガサにより、深刻な被害を受けたとうもろこし栽培。グアテマラ民話にあるように、双葉の息子の助けを受けて、蔓の女王がとうもろこしを育ててくれることを祈りたい。
≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住10年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。仕事=旅は素敵な方々と出会うことのできる、私にとっての宝物。グアテマラの友だちから「光代は僕たちよりグアテマラを知ってるよね」とお褒めの言葉を頂いている・・・。HP:ソロラ
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『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑)』/白石みつよ
2010-06-25T00:05:00+09:00
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第4回 サーフィンのメッカ、ノースショアー
連載『虹の州ハワイより』
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国)
ホノルル•ワイキキより車で40分から50分走ると、世界中のサーファー、プロサーファーが集まるノースショアーに到着する。方角はオアフ島の北部にあたる。
夏のノースショアー...
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国)
ホノルル•ワイキキより車で40分から50分走ると、世界中のサーファー、プロサーファーが集まるノースショアーに到着する。方角はオアフ島の北部にあたる。
夏のノースショアーは、ほとんど波がなく穏やかな海であるが、秋からは、それが一変し、怖い海になる。もちろん波も高い。15フィートから20 フィート(5〜6メートル)にもなる日がある。でもそれだけでなく、波が沖へ引っ張る力も、それは強いものであるとサーファーからも聞く。あまり知らない観光客や、慣れないサーファーは溺れかけてしまうほどだ。ノースショアーは、見るからに強い海へとその形相を変える。
ノースショアーには、いくつものブレイク•スポット、サーフィン•スポットがあり、「7マイルミラクル」と呼ばれる道がある。それは、1本道に次々と夢のビーチが続く、サーファーたちにとってあこがれの場所でもある。ノースショアーのビーチに行く前にあるハレイワという町から始まり、代表的なものでは、ラニアケアビーチ、チャンズリーフ、レフトオーバー、ワイメアベイ、シェークスコーブ、パイプライン、サンセットビーチと続く。パイプラインはご存知プロサーファーたちが、コンテストを行う場所。 週末ともなると、その波の様子と、サーファーたちの様子を車越しからでも見たい観光客で、のろのろ運転になってしまう!
サーファーなら、天国のような場所ノースショアーであるが、ホノルルやワイキキとは全然違う素朴な町に住むここの住民にとって、波のよい日ごとにこのような渋滞が続くのでは、迷惑な話かもしれない。
≪堀内章子(ほりうちしょうこ)/プロフィール≫
フリーランスライターは98年の長女の出産を機に。以後シンガポール、サンフランシスコと主人の駐在で移動を重ね、2001年東京に。その後独立し海外企画を専門とする編集業務会社を設立。07年からは家族4人でハワイに移り、ライター、編集、そして今年よりハワイの親子留学代行業務も開始。
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『虹の州ハワイより』 /堀内章子
2010-06-25T00:00:29+09:00
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第15回 青色のコカ・コーラ
連載『パパイヤ・マンゴー・ブラジル』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
物事を変化しないものと決めつけ、既存するイメージを絶対的なものとしてしまうのは悪いくせである。コカ・コーラのロゴマークは赤と白の2色の他、ブラックバックや透明であ...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
物事を変化しないものと決めつけ、既存するイメージを絶対的なものとしてしまうのは悪いくせである。コカ・コーラのロゴマークは赤と白の2色の他、ブラックバックや透明であっても、ブルーであったことは無いはずだ。しかしアマゾン州、パレンチンス市には、世界で唯一青色のコカ・コーラが存在する。
パレンチンス市はアマゾン川流域にある人口7万人程度の島で、毎年6月の終わりに行われる「ボイ・ブンバ祭り」で有名だ。「ボイ・ブンバ」とは雄牛の死と再生の民話を、歌や踊りで興じる伝統芸能。パレンチンス市では、赤チームの「ガランチード」と青チームの「カプリショーゾ」が3夜、パフォーマンスを繰り広げ優劣を競い合う。
そして季節に関係なく、街は2つのチームに二分されている。中心部にある教会の西側が青組、東側が赤組。家々はそれぞれのチームの旗を掲げ、壁をチームの色で塗りつぶす。ライバルであるチームを名前では呼ばず、「反対側」と呼ぶぐらい対抗意識が強い。街はずれにある空港は、赤青どちらにも属さないため銀行、公衆電話など全てが赤と青の両方を強調することで中立を保っている。
そして祭りのスポンサーであるコカ・コーラに対しては、青組の地域で看板が撤去されたり、不買運動が行われた結果、コカ・コーラ社がロゴマークを青色にすることで決着。今では看板は青で、祭りの時期になると青い缶も販売されているのだ。雄牛に熱狂する、ブラジル人パワーを垣間見た気がした。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジ ル在住10年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや7年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に夜の街に出没し、サンバのステップに足を絡ませる日々を過ごす。ブラジルをあそぶブログ
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2010-05-25T07:06:03+09:00
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第6回:小籠包・シャオロンパオ −台湾−
載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
おいしいものが町じゅうにあふれる美食天国、台湾。訪れるたび、食べたいものの種類が、食べられる量のキャパをはるかに超えることを悔しく思う。たっぷり食べたらホテルに帰って、着脱式の予備の胃袋と付け替えら...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
おいしいものが町じゅうにあふれる美食天国、台湾。訪れるたび、食べたいものの種類が、食べられる量のキャパをはるかに超えることを悔しく思う。たっぷり食べたらホテルに帰って、着脱式の予備の胃袋と付け替えられたらどんなにいいだろう……とありえない妄想が頭の中を駆け巡るくらい。
その台湾で、絶対に食べたい庶民派グルメの代表格といえば、小籠包。台北には、かのニューヨーク・タイムズ誌で世界の10大レストランにも選ばれたことのある名店があり、連日大行列の盛況ぶり。今回も、うっかり昼前頃に店の前に到着したら、どの順に案内されるのかわからないほどの人々が歩道にあふれかえっていて、諦めて翌日のおやつタイムに出直した。
さて、その小籠包、ご存知とは思うが説明しておこう。簡単に言えば、小麦粉で作った皮でひき肉のタネを包んで蒸したものだ。ただし、饅頭ではないので皮はあくまで薄く、中の具が透けて見えるほど。そして、中には肉だけでなく、たっぷりのスープが入っているのが特徴だ。どうやってスープを皮に包むのかというと、鶏ガラスープとひき肉を合わせて冷やし、鶏ガラから出たゼラチン質が煮こごりになって固まるのを利用するのである。それを包んでから蒸すと、皮の中でスープに戻るというワザだ。
このスープがおいしいことこの上ないのだが、当然のことながら、アツアツ! いくらおいしそうだから、そしてひと口大だからといっても、パクっといくとヤケドすることになる。おまけに私は猫舌ぎみ。でも、熱くておいしいうちに食べたい……。
そんな私のジレンマを解決すべく、現地の人が教えてくれた食べ方がある。レンゲに小籠包と黒酢と針生姜を乗せたら、皮の一部を箸で小さく破く。すると美味しいスープがレンゲにジュワッあふれ、黒酢と混ざる。これをフーフーして、ヤケドしないくらいになったところでスープをこぼさないように一気にレンゲの上のモノ全部を口に入れる。これでバッチリ! おかげでどんどん食べられてしまうのが難点だが。
これほど台湾グルメの象徴でありながら、実はこの小籠包、台湾料理ではない。実は、上海郊外の南翔という町で生まれたもの。上海きっての観光名所、豫園にある「南翔饅頭店」には、本場の味を求める世界各地の人が行列をなしている。日本人にはおなじみの「ショーロンポー」という読みも、「上海語」と呼ばれる上海地方の方言だ。
しかし、台湾における小籠包は、いまやすっかり地元の味として定着。広く庶民に愛されている。そして私は、台湾でも上海でも、それぞれにおいしい小籠包を味わえるシアワセに感謝しつつ、追加のセイロを注文するのである。
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。「食」についてはまだまだ興味の尽きないアジアだが、もっといろんな味に出会いたい……ということで、当面の目標はアジア脱出!
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『旅する胃袋』/長晃枝
2010-05-25T06:28:55+09:00
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第13回 離島に住む子どもたち
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
土曜日の朝8時、香港島行きのフェリーは子どもたちで賑わっている。平日は島にあるインターナショナルスクールに通っている子どもたちが、土曜日はママ、あるいはパパの国の言葉の学校(補習校)...
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
土曜日の朝8時、香港島行きのフェリーは子どもたちで賑わっている。平日は島にあるインターナショナルスクールに通っている子どもたちが、土曜日はママ、あるいはパパの国の言葉の学校(補習校)に通うからである。
香港には父親と母親の国籍が異なり、香港で生まれ育っているTCK(Third Culture Kids)とよばれる子どもたちが多く存在する。彼らは3つの言語と文化や習慣の中で育つので、言語習得問題以外にも自分は何者なのかというアイデンティティー問題にも直面する。緑に囲まれ、のんびりした時間が流れる香港らしくない離島の住民は欧米人率が高く、ミックスの子どもたちも多い。娘の幼稚園では、まずはじめに習うことは「who am I?」自分についてである。お父さんとお母さんはどこの国の出身で、自分はどこで生まれたのか。20人いる生徒の両親の出身地は12カ国。みんな違うから一人ひとりが特別なのだ、と園児たちは納得する。
離島には英語で授業が行われるインターナショナルスクールと広東語の公立小学校がある。中学や高校はないため、離島在住のティーンエイジャーは毎朝7時のフェリーで香港島の学校へ通学。幼稚園児や小学生の年齢でも親が送り迎えをして、フレンチやジャーマン、日本人学校などへ通っている子どもたちもいる。片道1時間以上かけて毎日通うのは、親も子も相当の覚悟が必要である。
「どようびはバスとフェリーとタクシーにのって、にほんごようちえんだね」
と年中の娘は、週末の小旅行を楽しみにしている。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。キッズトライアスロンデビューする6歳児と毎日トレーニング中。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2010-05-25T04:48:09+09:00
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第25回 旅の重さ
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
アラビア半島北部の沙漠、ナフドを横断したイギリス人女性レディーアン・ブラント。南部の沙漠、ルブアルハーリを縦断・横断したのは、フィルビー、トーマス、セシガーら。今では世界的...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
アラビア半島北部の沙漠、ナフドを横断したイギリス人女性レディーアン・ブラント。南部の沙漠、ルブアルハーリを縦断・横断したのは、フィルビー、トーマス、セシガーら。今では世界的に有名な人々も、当時はきっと任務で移動していただけなのかもしれない。
沙漠を旅していると、故人の軌跡に触れることがある。全く何の予備知識もないまま、誘われるままに深入りしてしまった沙漠のオフロード。セシガーがここを通った、レディーアンがこの部屋に泊まった云々、教えられても誰のことだか分からなかった。
究極のアウトドア体験は、楽しいとは言い難いことばかり。しかし、旅仲間のほとんどがイギリス人で、さすがに彼らは不便なことに慣れているうえ、粗食にも耐えるのだから、私は口をつぐむしかない。温厚で博識な彼らから、学ぶことは多かった。いつも危険と隣合わせの旅は、どこか世捨て人のような気分になったものだ。思えば、中年症候群夫婦の自分探しの旅だったのかもしれない。
キツネやサソリやネズミなど、沙漠の動物たちに出会ったり、可憐な花を付けた名も知らぬ植物を見つけたり、また、どこまでも続く無人で無音の世界を堪能でき、素晴らしい沙漠体験をさせてもらった。オマーンもカタールもバーレーンも、アラブの魅力に溢れていた。
映画『アラビアのロレンス』の舞台となった場所、その他数々の名所旧跡を訪ね、何もかもが私にとっては珍しいことばかり。遊牧民の人々に温かいもてなしを受けたのも、一度や二度ではない。強い陽射しが照りつける海岸は、泳ぐ人もなく、静かで美しい。遥か遠くで、空と海が繋がっているかのようだった。私たちの旅を構成していた一つひとつに、心から感謝したい。
私たち夫婦のアラビア生活は終わってしまったが、旅の記憶はいつまでも消えることがないだろう。
* 長らく連載させて頂いたフォトエッセイ「アラビア半島の印象」は、今回で終わります。ありがとうございました。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。カナダへ越して来てそろそろ3年が過ぎようとしている。数年で居住テントを移動するアラビア半島の遊牧民のごとく、またどこかへ赴任したい病、砂欠乏症ほか、発症中。
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2010-05-25T02:43:06+09:00
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第3回 紺碧の海とハイキング
連載『虹の州ハワイより』
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国
ハワイに住んでもうじき3年。車で10分とかからない所に初心者にぴったりのハイキングコースがあることを知りつつ、どうも暑さに苦手な私は挑戦しないでおりました…
先月やっと息子のボ...
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国
ハワイに住んでもうじき3年。車で10分とかからない所に初心者にぴったりのハイキングコースがあることを知りつつ、どうも暑さに苦手な私は挑戦しないでおりました…
先月やっと息子のボーイスカウトの活動として家族で、ハイキングをすることが決定。その場所が、そう!この場所、マカプウハイキングでした。
朝8時に集合。坂道を歩くことに慣れていない私は最初の10分は息切れ状態。運動不足を実感。最近すっかり歩くことしていないからなぁ〜。でも人間って不思議です。しばらく歩いているとその息切れもなくなり、足も幾分軽くなって坂道もさほどきつくなくなっていました。(よかったぁ、まだまだ年寄りではなかった)
ハイキングコースとしては初心者クラス。頂上までは約1時間で登ることができます。
途中何カ所か、アウトルックスポットがあり、ハワイの冬である12月から3月初旬であれば、くじらが優々と泳ぐ姿を目撃することもあると聞く。今回は残念ながら見つけることができなかったけれど、真下に見える海の紺碧さに感激しました。エメラルドグリーンの海も素敵ですが、この深い青い海の色、引き込まれてしまいそうな、そんな色です。写真に小さく写っているのは、人気テレビドラマ「LOST」の撮影でも使われた灯台です。
その先に進むといよいよ頂上。ここから見える景色はなかなか。オアフ島の北東部のカイルア地域まで見ることができます。
帰りは楽です。30分もしないでスタスタと戻ってくることができました。日差しが強いホノルル。早朝の出発が必須です。下山したら10時近く。既に太陽がサンサンと照らし続け、またまた日焼けしてしまいました。
≪堀内章子(ほりうちしょうこ)/プロフィール≫
フリーランスライターは98年の長女の出産を機に。以後シンガポール、サンフランシスコと主人の駐在で移動を重ね、2001年東京に。その後独立し海外企画を専門とする編集業務会社を設立。07年からは家族4人でハワイに移り、ライター、編集、そして今年よりハワイの親子留学代行業務も開始。
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『虹の州ハワイより』 /堀内章子
2010-05-25T01:58:53+09:00
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第8回 グアテマラの風呂敷
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラは織物の国。女性の民族衣装であるウィピル(上着)、コルテ(巻きスカート)、それを留める帯も織物。男性のジャケット、ズボンも織物。家...
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラは織物の国。女性の民族衣装であるウィピル(上着)、コルテ(巻きスカート)、それを留める帯も織物。男性のジャケット、ズボンも織物。家で使われる小物も、様々なスタイルの織物が使われている。その中で、最も愛用されているのが「スーテ」とよばれる万能布。ミル・ウソ・デ・スーテ(1000通りの使い方があるスーテ)と言われるほど、使い回しが利く布なのだ。
物を包み運ぶのはもちろんのこと、市場では、買ったものをその都度包み、肩にかけたり頭に載せて運ぶ。ぱっと広げれば、腰を降ろすための敷物になる。暑いときには、四つ折りにし頭へ乗せ日よけに。ショールのように体を覆い寒さも防ぐ。長細く折りたたみ肩にかけるのは、外出時の身だしなみ。家の中でも、いろいろな使われ方がされている。おばあちゃんのひざ掛け、窓辺に掛けカーテン、お客様が来たときには、テーブルクロスにも早変わりする。
「スーテ」より大きい布が「ペラッヘ」。この布にはちがう使い道がある。
村の公園や市場をはじめいたるところで、背中に何かをしょっている女性を見かける。一升餅を担ぐ子どもの姿になんとなく似ているのだが、その包みを触って、驚く。野菜や果物なのかと思いきや、「ペラッヘ」に包まれ、背負われているのは、なんと赤ちゃんなのだ。
人の背丈ほどある布を三角形に折り、背中に乗せた赤ちゃんを布ですっぽりとくるむように背負う。お乳をあげるときや、むずかってあやすときは、半回転させ前に持ってくる。すると、ちょうど赤ちゃんの顔がお母さんと向かい会うのだ。赤ちゃんが安心して眠りはじめると、また背中へ回す。なんともうまくできている。母親だけではなく、子守をするお姉ちゃんたちも同じように背負い、あやしながら過ごす。
風や太陽を防ぐためにかけられている布の端を上げると、そこには、あったかい背中で眠る赤ちゃんのすこやかな寝顔。父親の働く背中を見る前に、子どもたちは女性の背中で大きくなる。
≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住11年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。仕事=旅は素敵な方々と出会うことのできる、私にとっての宝物。グアテマラの友だちから「光代は僕たちよりグアテマラを知ってるね」とお褒めの言葉を頂いている……。HP
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『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑)』/白石みつよ
2010-04-25T03:04:47+09:00
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第12回 香港セブンスはお祭りラグビー
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・香港島)
毎年3月に入ると、「セブンス行くの?」という会話が季節の挨拶のようにあちこちで飛び交う。これは1976年に始まった、毎年3月に開催される香港セブンスのラグビー観戦のことである。セブンスは7人制...
文・写真:みゆきりん(香港・香港島)
毎年3月に入ると、「セブンス行くの?」という会話が季節の挨拶のようにあちこちで飛び交う。これは1976年に始まった、毎年3月に開催される香港セブンスのラグビー観戦のことである。セブンスは7人制で7分間ハーフ、合計14分間の試合時間なので、お馴染みのラグビーに比べるとかなりスピーディーなもの。
現在8カ国で開催されている国際大会なので、ニュージーランドやイギリスなどの最強チームから、中国や韓国などラグビー歴の浅いチームまで参加。日本チームも出場している。
ラグビーファンはもちろんのこと、ラグビーのルールさえ知らないお祭り好きが集まるのは、4万人収容できる香港スタジアムの南側にある、サウススタンドという観戦席。早い者勝ちの自由席なので、朝早くから駆け付け、ビールの一気飲みをしたりするものだから、サウススタンドの観客は昼前には酔っ払いの集団になっている。
しかもこの人たち、かなりユニークな格好をしている。スーパーマン、バットマン、スパイダーマンのスーパーヒーロー系からパンダやバナナなどの着ぐるみを被ったおじさんたち。キャットウーマンやナースなど、露出度の高いピチピチの衣装をつけるおねえさんたち。この時とばかりに網タイツをはき、女装を楽しんでいるおじさま軍団など。1リットルビールのコップを片手に歌ったり、踊ったりと誰もラグビーなんて観ていない様子。
日本チームのサポーターは、ミス・ユニバース風のミニ着物を着用。なんせアラフォーの集団だから、怖いもの見たさで近づいてくる見物人多数。それをシャットアウトし、ガンバレ! ニッポンの応援に励んだのだが、残念なことに早い時点で負けてしまった。
優勝チームはサモア。香港セブンスは終わったものの、ラガーのみなさんは、お次はロンドンとセブンスラグビーはまだまだ続く。そして、香港在住のお祭り好きは来年の衣装を再び考え始めるのだ。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。香港で働いている出稼ぎ女性11人にインタビューした「異国から届ける愛」をでじたる書房より出版 。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2010-04-25T02:53:08+09:00
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第11回 プロポーズはゴールするまで待って
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・香港島)
毎年ポピュラー度がアップしている香港マラソンは今年で14回目。初めて開催された1997年には中国返還を記念して、1000人のランナーが国境を走って超えた。その後ランニングコースが何度か変わり、今年...
文・写真:みゆきりん(香港・香港島)
毎年ポピュラー度がアップしている香港マラソンは今年で14回目。初めて開催された1997年には中国返還を記念して、1000人のランナーが国境を走って超えた。その後ランニングコースが何度か変わり、今年は5万2千人の参加者のうち、フルとハーフマラソンのランナーは九龍でスタート。それから橋を渡り、海底トンネルをぬけて、香港島の繁華街にあるヴィクトリア公園でゴールした。
マラソン開催日は毎年2月の旧正月明け。今年はちょうど旧正月が明けてから15日目にあたる、中国のバレンタインデーといわれている元宵節と重なったため、汗臭いだけでなくロマンチックなイベントとなった。
日中の気温が24度、湿度が90%という、この時期にしては異例の暑さの中、スーツ姿で走っている男性の参加者がいた。しかも片手にバラの花束を抱えている。この彼、42キロを無事走り終え、ゴールのラインを踏んだ後、彼女が待っているところに直行した。そして片膝をつき、プロポーズ。もう一組のカップルは、走っている彼女をひたすらゴール地点で待っていた彼が、彼女がゴールすると同時にプロポーズ。驚いた彼女たちの答えは二人とも「イエス!」
結婚生活とはおそらく長距離マラソンのようなもの。平な道もあれば、坂道もある。空気の悪いトンネルを通ることもあれば、橋を渡ることだってある。でも肝心なのはいつも自分のペースをしっかり保って、前進すること。どうぞ末永くお幸せに!
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2010-03-25T13:14:16+09:00
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第7回 グアテマラ・マリンバ
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
マリンバはグアテマラの象徴の1つにもされている、この国になくてはならない楽器だ。木琴に似た打楽器で、木片の下に共鳴管がついている。スペイン植...
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
マリンバはグアテマラの象徴の1つにもされている、この国になくてはならない楽器だ。木琴に似た打楽器で、木片の下に共鳴管がついている。スペイン植民地時代の16世紀初頭こちらに渡った黒人の人々により持ち込まれたアイデアが、この地域で発展し生まれたといわれている。
昔ながらのテコマテマリンバは、木片の下にひょうたんがついている。音階ごとに大きさの違うひょうたんが並び、先端部に開けられた数ミリの穴を、豚の薄い腸でふさいでいる。そのため木片を叩くと、ひょうたんに振動が伝わり、膜が振動するので、びんびんとなんとも不思議な音が出る。
最初は、鍵盤部分の木片にアーチ型のもち手を付け、肩からぶら下げて叩いていたというが、両端を人が持つようになり、脚がつき、共鳴管もひょうたんから木製に変わっていく。
マリンバ製作者たちがこの楽器のための音楽も創り始め、グアテマラ全土に郷土音楽として根付いていく。19世紀、アメリカの楽器展に出品されたのがきっかけとなり、日の目を見るようになり現在に至る。
世界のマリンバは独奏が多いが、グアテマラの場合はちょっとちがう。1台のマリンバに3~5人が並び、各自がことなる音域を、左右それぞれの手にマレット(撥)を2本ずつ持ち、オリジナルパートを奏でるのだ。1台でバラエティー豊かな音楽表現ができ、伝統音楽はもちろん、ジャズ、ワルツ、ブルース、交響曲までアレンジして弾くことができる。ギターやドラムなどと奏でるマリンバオーケストラも人気だ。
グアテマラに欠かすことのできないマリンバ。町には必ずお抱えのマリンバ隊がおり、お祭り、結婚式、誕生日、卒業式などのイベントには必ずマリンバの音色が響いてくる。すると自然にリズムをとりメロディーを口ずみはじめてしまうグアテマラの人たち。曲にあわせ、ゆったりと、幸せそうに踊る熟年カップルを見ていると、こちらまであたたかな気持ちになる。そして、ふと気がつくと一緒にリズムをとっている自分がいる。いつの間にか、私の中にもマリンバの音がしっかりとしみこんでしまったようだ。
≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住11 年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。ソロラの子どもたちの就学支援をする「青い空の会」 代表。女の子たちと作るグアグアタールヘタ活動にいそしむ毎日。ホームページ
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『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑)』/白石みつよ
2010-02-25T00:20:28+09:00
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第10回 旧正月は赤いおパンツ
連載『香港の離島から』
文・写真 みゆきりん(香港・ランタオ島)
毎年旧正月の時期になると、香港の街中は真っ赤になる。赤い提灯、赤いライシ(お年玉袋)をはじめ、縁起のいい四字熟語が書かれた揮春(ファイチュン)などとにかく縁起のいい「赤」で家も店も飾...
文・写真 みゆきりん(香港・ランタオ島)
毎年旧正月の時期になると、香港の街中は真っ赤になる。赤い提灯、赤いライシ(お年玉袋)をはじめ、縁起のいい四字熟語が書かれた揮春(ファイチュン)などとにかく縁起のいい「赤」で家も店も飾り付け。最もポピュラーなのは「恭喜發財(コンヘイファッチョイ)」である。これは感覚的には日本の新年のあいさつに似ているが、意味は財産に恵まれておめでとう、すなわち「お金持ちになれますように」。お金が大好きな香港人のあいさつ、在住16年の今なら納得できる。香港に来てすぐは「なんだかねえ」と冷たい感じがしたが、なんせお金の話なんて天気の話のようなもの。ちょっと洒落た服を着ていたら「それどこで買ったの? いくら?」と聞かれる。家に招待したら「ここは借家? それとも買ったの? いくらだった?」。悪気はない。おそらく大阪人の「もうかりまっか」と同じノリである。
今年はさらにパワーアップして、赤だけでなくピンクも多い。恋愛運や人間関係をよくする桃花(トウファ)が例年に比べいろんなところで存在をアピールし、ショッピングモールを華やかにしている。カレンダーをよく見ると、2010年の旧正月の初日はバレンタインデーと重なる。なるほど”East is West, Love is Luck”という一瞬意味不可解なこの某モールの宣伝文句もわからないわけではない。
旧正月の初日には新しい服を着る習慣がある香港人。特にズボンやパンツは発音が「福」と同じフッであることから、新しいのをはくと福を招くそうだ。
今年の2月14日はLove とLuckを求め、香港人女性は新しい赤いおパンツを身につけるのだろうか。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。月末の香港マラソンに向けてトレーニング中。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2010-02-25T00:00:41+09:00
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第5回 湯圓・タンユェン −中国−
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
日本では、ニュースなどで「暦の上では今日が……」というセリフを耳にするのみだが、中国をはじめとしたアジア諸国では、年中行事は今もなおこの旧暦(陰暦、農暦などともいう)に基づいて行われる。中でも最も重...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
日本では、ニュースなどで「暦の上では今日が……」というセリフを耳にするのみだが、中国をはじめとしたアジア諸国では、年中行事は今もなおこの旧暦(陰暦、農暦などともいう)に基づいて行われる。中でも最も重要な行事のひとつ、一年の始まりである正月も、もちろん旧暦ベース。つまり、世界標準でいうところのカレンダー上では、毎年正月の日が異なるということになる。
今年の旧暦の正月は、去る2月14日だった。家族で過ごす大切な日である正月とバレンタインデーが重なって、中国の若ものの悩みのタネだ、などというウワサもちらほら。ともあれ、やっぱり多くの人々が家族とともに、春節と呼ばれる中国のお正月を迎えるようだ。そしてこの春節はなんと2週間たっぷりある。
その春節の最後の日にあたるのが、元宵節。陰暦ベースなので、もちろんよりどころは月。元宵節は新月である元旦から数えて15日目なので年の最初の満月にあたる。その満月の夜に、家族揃って家庭円満を願っていただくのが、丸いお団子を食べるというのが昔からの習わしだ。
そのお団子が、湯圓(タンユェン=中国語の標準語である普通語)と呼ばれる、白玉のようなお団子。小豆やゴマ、ピーナッツなど、いろいろな餡が入った大きめのもので、ほんのり甘いシロップというか、スープに入っている。
この湯圓はおもに南方のもので、広東語ではトーンユンと読み、同じ読みで湯丸と書くこともあるようだ。こちらは、生地をつくって餡を包むという作り方。北方では餡のまわりに粉をまぶすという作り方で、湯圓ではなく元宵と呼ばれる。
北京の友達からもらった「もうすぐお団子を食べて、お正月は終わり」というメールはこの元宵のこと、「毎年、いろんな種類が出るのが楽しみ。今年は低糖、キシリトール入りにしてみようかな」という上海の友人からのメールは湯圓のこと、なのかな。
横浜の中華街に行けば、出来上がった冷凍の湯圓が買えるけれど、私は東京で、こし餡に練りゴマを混ぜたものを白玉粉で作った生地で包んで作ってみた。元宵節より一足お先にお味見。うん、お手軽に作ったわりにはなかなか。お汁粉よりもさっぱりして、たくさん食べられるのもうれしい。
今年も世界が円満ないい年になりますように!
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。今年の日本のお正月はどっぷり仕事だったので、お正月気分は旧正月で味わうことに。さて、新しい年は、どこで、どんな、おいしいものに出会えるかな?
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『旅する胃袋』/長晃枝
2010-02-23T21:29:55+09:00
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第5回 湯圓・タンユェン −中国−
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
日本では、ニュースなどで「暦の上では今日が……」というセリフを耳にするのみだが、中国をはじめとしたアジア諸国では、年中行事は今もなおこの旧暦(陰暦、農暦などともいう)に基づいて行われる。中でも最も重...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
日本では、ニュースなどで「暦の上では今日が……」というセリフを耳にするのみだが、中国をはじめとしたアジア諸国では、年中行事は今もなおこの旧暦(陰暦、農暦などともいう)に基づいて行われる。中でも最も重要な行事のひとつ、一年の始まりである正月も、もちろん旧暦ベース。つまり、世界標準でいうところのカレンダー上では、毎年正月の日が異なるということになる。
今年の旧暦の正月は、去る2月14日だった。家族で過ごす大切な日である正月とバレンタインデーが重なって、中国の若ものの悩みのタネだ、などというウワサもちらほら。ともあれ、やっぱり多くの人々が家族とともに、春節と呼ばれる中国のお正月を迎えるようだ。そしてこの春節はなんと2週間たっぷりある。
その春節の最後の日にあたるのが、元宵節。陰暦ベースなので、もちろんよりどころは月。元宵節は新月である元旦から数えて15日目なので年の最初の満月にあたる。その満月の夜に、家族揃って家庭円満を願っていただくのが、丸いお団子を食べるというのが昔からの習わしだ。
そのお団子が、湯圓(タンユェン=中国語の標準語である普通語)と呼ばれる、白玉のようなお団子。小豆やゴマ、ピーナッツなど、いろいろな餡が入った大きめのもので、ほんのり甘いシロップというか、スープに入っている。
この湯圓はおもに南方のもので、広東語ではトーンユンと読み、同じ読みで湯丸と書くこともあるようだ。こちらは、生地をつくって餡を包むという作り方。北方では餡のまわりに粉をまぶすという作り方で、湯圓ではなく元宵と呼ばれる。
北京の友達からもらった「もうすぐお団子を食べて、お正月は終わり」というメールはこの元宵のこと、「毎年、いろんな種類が出るのが楽しみ。今年は低糖、キシリトール入りにしてみようかな」という上海の友人からのメールは湯圓のこと、なのかな。
横浜の中華街に行けば、出来上がった冷凍の湯圓が買えるけれど、私は東京で、こし餡に練りゴマを混ぜたものを白玉粉で作った生地で包んで作ってみた。元宵節より一足お先にお味見。うん、お手軽に作ったわりにはなかなか。お汁粉よりもさっぱりして、たくさん食べられるのもうれしい。
今年も世界が円満ないい年になりますように!
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。今年の日本のお正月はどっぷり仕事だったので、お正月気分は旧正月で味わうことに。さて、新しい年は、どこで、どんな、おいしいものに出会えるかな?
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『旅する胃袋』/長晃枝
2010-02-23T21:28:53+09:00
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第2回 青空なのに雨
連載『虹の州ハワイより』
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国)
ハワイは“レインボーステート”虹の州と言われるほど、虹をよく見かける。ダブルレインボーと言って、二重に虹のかかる場面にも何度となく遭遇した。ハワイは不思議なところで、青空が出て...
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国)
ハワイは“レインボーステート”虹の州と言われるほど、虹をよく見かける。ダブルレインボーと言って、二重に虹のかかる場面にも何度となく遭遇した。ハワイは不思議なところで、青空が出ているのに、雨が降ることもよくある。アメリカ本土からやってきた人もこれが非常に不思議なことに思うようで、よく私に話してくれる。確かに、スコールのようにパサパサと降って止む。もちろん黒い雲がモクモクと上空にやってくると、どしゃぶり雨の前兆だ。
最近はどんな雨があとどれくらいでやってくるか、少しは予測が立つようになってきた。日本の天気予報はかなり正確で、午後3時ごろから雨というと、本当に雨になる。3時間毎の天気予報もすごいものだ。しかしハワイの気象情報はそんなに細かくないし、大方いつも変わりばえしない。温度も天気も1週間予報が出てくるが大方同じ。そんな訳で、自然と人間本来の“本能”的なもので天気を察知するようになってきている。
この前、車を運転したら、晴れなのに、雨、そしてなんとその向こうに虹という光景をみかけ、思わずシャッターを切った。車の中からなので質はそれほどよくないが、この不思議な天気をみなさまにもお届けしたいと思う。
≪堀内章子(ほりうちしょうこ)/プロフィール≫
フリーランスライターは98年の長女の出産を機に。以後シンガポール、サンフランシスコと主人の駐在で移動を重ね、2001年東京に。その後独立し、ライ ター、編集、そして07年からは家族4人でハワイに移り、対日本マーケティングのコンサルタントと3足のわらじ状態に。
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『虹の州ハワイより』 /堀内章子
2010-01-25T00:08:07+09:00
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第24回 オマーンという宝石箱
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
訪れてみて分かったのだが、オマーンほど強靭な四輪駆動車を必要とする所はないだろう。アラビア半島の東南に位置し、山あり谷あり、沙漠あり、海ありの美しい国。風光明媚で、絶景多し...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
訪れてみて分かったのだが、オマーンほど強靭な四輪駆動車を必要とする所はないだろう。アラビア半島の東南に位置し、山あり谷あり、沙漠あり、海ありの美しい国。風光明媚で、絶景多し。道路は通っていても舗装はされていない場所も多い。また、水の少ない川や河川敷が、住民の生活道路だったりする。いくら何でも、そんな急勾配の無舗装な地面は道には使わないでしょう……というようなものまで、地元の人たちはごく普通に車を運転して通っている。オフローダーにとって、夢のような国だ。
思えば、まだオフロードクラブに入れてもらったばかりの頃、何度か仲間からオマーン行きを誘われた。当時は、オマーンってどこ?状態で、ましてやその魅力など知る由もなかった私たち夫婦。赴任が長くなり、あれこれと情報が入るにつれて、オマーンへ訪れたい気持ちが強くなっていった。
しかし、そんな私たちの気持ちとは裏腹に、もう一緒に行こうと言ってくれる友はない。そりゃあ誰だって、二度も三度も同じルートで同じ場所へは行きたくないだろう。
そろそろ夫の任期も終わりに近づき、行くならもう自分たちだけで行くしかなくなった。いくらオフロード用の車輛とはいえ、たった1台だけで行く危険は充分すぎるほど分かっている。ましてや、向こう見ずでやん茶坊主のような夫の運転、私は生きてリヤドに戻れるのか……とまで思ったものだ。
確かに無茶な運転もあったものの、当のオマーン人たちも通っている生活道路。慎重でさえあれば、何も恐れることはない。川や枯れ野が道代わり。多少増水したって、河川が通勤・通学の道であるのに変わりがないのだ。
素朴な人たちは、どこへ行っても暖かく迎えてくれた。海のシルクロードと言われた海洋交通の経路だった国、オマーン。鎖国状態のサウジアラビアとは対照的な、人々の明るい笑顔が魅力的だった。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。2010年正月、いよいよ夏の転勤先が気になるところだが、夫はまた今年も9月のラリーに参戦予定。ラマダン明け祭の休暇が終わる頃の着任なら良いなと、そんなこちらの勝手な都合を人事がきいてくれるはずもなく、脱力気味の年明けになった。
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2010-01-25T00:00:00+09:00
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第24回 オマーンという宝石箱
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
訪れてみて分かったのだが、オマーンほど強靭な四輪駆動車を必要とする所はないだろう。アラビア半島の東南に位置し、山あり谷あり、沙漠あり、海ありの美しい国。風光明媚で、絶景多し...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
訪れてみて分かったのだが、オマーンほど強靭な四輪駆動車を必要とする所はないだろう。アラビア半島の東南に位置し、山あり谷あり、沙漠あり、海ありの美しい国。風光明媚で、絶景多し。道路は通っていても舗装はされていない場所も多い。また、水の少ない川や河川敷が、住民の生活道路だったりする。いくら何でも、そんな急勾配の無舗装な地面は道には使わないでしょう……というようなものまで、地元の人たちはごく普通に車を運転して通っている。オフローダーにとって、夢のような国だ。
思えば、まだオフロードクラブに入れてもらったばかりの頃、何度か仲間からオマーン行きを誘われた。当時は、オマーンってどこ?状態で、ましてやその魅力など知る由もなかった私たち夫婦。赴任が長くなり、あれこれと情報が入るにつれて、オマーンへ訪れたい気持ちが強くなっていった。
しかし、そんな私たちの気持ちとは裏腹に、もう一緒に行こうと言ってくれる友はない。そりゃあ誰だって、二度も三度も同じルートで同じ場所へは行きたくないだろう。
そろそろ夫の任期も終わりに近づき、行くならもう自分たちだけで行くしかなくなった。いくらオフロード用の車輛とはいえ、たった1台だけで行く危険は充分すぎるほど分かっている。ましてや、向こう見ずでやん茶坊主のような夫の運転、私は生きてリヤドに戻れるのか……とまで思ったものだ。
確かに無茶な運転もあったものの、当のオマーン人たちも通っている生活道路。慎重でさえあれば、何も恐れることはない。川や枯れ野が道代わり。多少増水したって、河川が通勤・通学の道であるのに変わりがないのだ。
素朴な人たちは、どこへ行っても暖かく迎えてくれた。海のシルクロードと言われた海洋交通の経路だった国、オマーン。鎖国状態のサウジアラビアとは対照的な、人々の明るい笑顔が魅力的だった。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。2010年正月、いよいよ夏の転勤先が気になるところだが、夫はまた今年も9月のラリーに参戦予定。ラマダン明け祭の休暇が終わる頃の着任なら良いなと、そんなこちらの勝手な都合を人事がきいてくれるはずもなく、脱力気味の年明けになった。
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2010-01-25T00:00:00+09:00
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第23回 らくだ道
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
リヤド郊外、高速道路から少し入った断崖絶壁の沙漠に、幾筋かの綴れ織りの道がある。これらは、「キャメルトレイル」と呼ばれていて、かつては隊商や巡礼者が利用したと伝えられている...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
リヤド郊外、高速道路から少し入った断崖絶壁の沙漠に、幾筋かの綴れ織りの道がある。これらは、「キャメルトレイル」と呼ばれていて、かつては隊商や巡礼者が利用したと伝えられているものだ。黄色っぽく赤茶けた大地と、そしてまた同じ色の岩を積み重ねて造られた小径。かつては、リヤドを含むナジド地方の、主要幹線路だったのだろう。
何本かあるトレイルのうち、比較的状態の良いものに、涼しくなったらぜひ一度歩いて下りてみたい……とずっと思っていた。きっと上るのはキツいだろうから、下りだけでやってみようと、気合いを入れていた。現地迄車で行き、崖の上で下ろしてもらって、下の野原で待っててもらうという完璧な企画だったのに、私の願いは一発で却下。日中過ごしやすい気温のアラビア半島の冬は、オフロードのシーズン真っ最中なのだ。だから、こんな初心者も行かないような場所でトレッキングなんて女子供がすることだと、にべもない。おまけに、僕らはハイキングクラブじゃないんだぞと、とどめのひと言まで浴びせられてしまった。
あぁなんて情緒のないヤツよ。マッチョなばかりのオフローダーは、これだから嫌になる。断崖からの絶景を楽しみつつバーベキューをして、それからゆっくり歩いて下れば、良い腹ごなしになるのに。
結局のところ、5年近くもリヤドに住んだのに、ただの一度もキャメルトレイルのトレッキングは叶わなかった。今から思えば、ウィークデーに車とドライバーを調達して、まさしく女子供だけで行けば良かったと悔やまれる。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。本国戻りの夫にくっついてカナダへ来て、3度目の冬を迎えた。寒いのは相変わらず苦手だが、3年続けて異常気象、今年は雪も少なく比較的暖かめ。こんな冬なら大歓迎?!
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2009-12-25T04:24:48+09:00
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第14回 勝利の後
連載『パパイヤ・マンゴー・ブラジル』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
勝利の後は陽気に騒ぐのが一番いい。といっても、試合開始前から身体をアルコールに浸すのだから、BeforeもAfterも関係ない。道路に飛び出して叫んだって、酔っ払って子ども...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
勝利の後は陽気に騒ぐのが一番いい。といっても、試合開始前から身体をアルコールに浸すのだから、BeforeもAfterも関係ない。道路に飛び出して叫んだって、酔っ払って子どもの前で踊ったって、知らない人に抱きついたって大丈夫。サッカーの試合の勝利の後は、ある一線までは無礼講。
ブラジルの国内サッカーリーグである、カンピオナート・ブラジレイロの最終日は、朝から花火が打ち上げられ騒がしい。特に今年は、リオデジャネイロの有力チーム、フラメンゴ優勝の可能性に沸き立ったサポーター達が、朝から集いチームの歌を街中に響かせた。行き交う人々は応援するチームのTシャツで勝利を願い、観戦会場となるバールに旗を吊り下げる。試合開始直前は、まるでW杯でのブラジル選抜の試合の日のように、通りから人影が消える。行き交う車は減り、皆テレビの前でスタンバイするのだ。
最終戦を私が観戦したのは、初戦から通った小さなバール(Bar)。試合開始と同時に歓声が上がり、バールの外まで人があふれだす。手を握り締め、選手の細かな表情まで見過ごすまいとする人もいるが、観戦に集中していない人も結構多い。応援するチームのミスにスラングでわめき散らしている間に、ゴール!飛び上がって喜ぶ大人たちに驚きながらも、まねをして飛び跳ねる子ども達。
今年はフラメンゴが17年ぶり、6度目の王者に返り咲いた。涙を流す人。抱き合う人。飛び上がる人。優勝直後のバールはまるでお祭り騒ぎ。通りかかった車が次々にバールの前に止まり、歓声をあげ、クラクションを鳴らして喜びを共有する。日曜日だというのに、この日は明け方まで騒ぎが続いた。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジル在住9年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや6年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に夜の街に出没し、サンバのステップに足を絡ませる日々を過ごす。ブラジルをあそぶブログ
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2009-12-25T00:02:14+09:00
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第4回:年越しそば −日本−
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
暦と食べ物とは、切っても切れない関係にある。どこの国でも、暦の上の行事に必ず食べるものがあるものだ。もちろん、日本にも。そして、年末に欠かせない食べ物といえば、年越しそば。今でも、多くの店がシャッ...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
暦と食べ物とは、切っても切れない関係にある。どこの国でも、暦の上の行事に必ず食べるものがあるものだ。もちろん、日本にも。そして、年末に欠かせない食べ物といえば、年越しそば。今でも、多くの店がシャッターを下ろす中、そば屋だけは12月31日の夜まで多くの人で賑わう。
大晦日にそばを食べるという風習は、江戸時代の中ごろに広まったという。その理由には諸説あるが、よく聞かれるのが、細長いそばにあやかって人生を長く達者に送れるように、という願いを込めて食べるという説。もっとも、この理由からすると細長ければなにもそばでなくてもいいわけである。実際、当時は細長ければなんでもよかったとする逸話もつたわっており、関西など地方によっては太く長く、運を呼ぶ「うんどん」つまりうどんを食べるところもあるらしい。
江戸っ子らしい理由といえば、そばが切れやすいことから、その年の労苦や災難、借金などをすっぱり断ち切って新しい年を迎えるため、という説がある。宵越しの金は持たないといえば江戸っ子の気風のよさを示すが、バツの悪いことは年越ししない、というのはちょいとご都合主義が過ぎるのではなかろうか。
一方、景気のいいところでは、年の瀬に金が集まるようにという縁起をかついだ、という説もある。金を扱う細工職人は、製作過程で散らかった金粉を集めるのに、そば粉を水で練ったものを金粉に押し付けてそれを水につけた。そば粉は水に溶けて金粉だけがそこに沈むそうだ。これにあやかって、たくさん金があつまるようにということらしい。個人的にはいささかこじつけがましいと思わなくもないが。
このほかにも諸説あるが、いつ食べるかということにまで、バリエーションがあるのは意外である。年越しそばというくらいで、年内に残さず食べきらなければ縁起が悪いとするところがほとんどだが、年明けに食べる、あるいは、小正月と呼ばれる1月15日の前日に食べるという地域もある。
日本のような小さな国のささやかな風習にも、かつてのお国柄の違いがこれほどあるのだから、広い世界にいろいろな違いがあるのは当然のこと。互いの文化を尊重しあえる世の中になってもらいたいと願いながら、細くきりっと締まったそばを濃〜い汁で、今年のうちにとせっかちにかっこむ江戸っ子の私である。
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。いよいよ今年もおしまい。よく食べたなぁ。新しい年も、また新しい味を求めて、未踏の地に行こう…行きたい……行けるといいな。
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『旅する胃袋』/長晃枝
2009-12-25T00:00:14+09:00
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第1回 自然の美しさに感謝
連載『虹の州ハワイより』
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国)
ハワイのホノルルに住み始めて2年ちょっと。常夏ハワイでも季節の変化がちゃんとある。秋らしくなってくるのが、ハローウィンつまり10月末あたりから。日中の日差しが少し弱くなり、夕方...
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国)
ハワイのホノルルに住み始めて2年ちょっと。常夏ハワイでも季節の変化がちゃんとある。秋らしくなってくるのが、ハローウィンつまり10月末あたりから。日中の日差しが少し弱くなり、夕方からはぐっと涼しくなる。これが4月はじめごろまで続く。長袖を着る機会も増えて、ちょっとファッションが楽しめることもあり、私の好きな季節でもある。4月ごろからメキメキと太陽の力が強くなり、8月ごろまでかなり暑い。そして9月から10月は暑いだけでなく、風も止んでしまう時期が数日から数週間ある。この時期はいただけない。ひたすら涼しくなるのを待ちわびるしかない。
夕方5時からの息子のサッカー練習も、だいぶ日が短くなり、終了する6時には日が沈みかけてしまう。でも空気も澄んで、風も心地よく吹く日の夕焼けは美しい。息子と一緒にしばらく眺めていた。
ホノルルでは、日夜問わず、一瞬立ち止まりたくなるような美しい景色に度々出会う。高層ビルも少なく、東京にいたころに比べ空が大きく見える。夜空の星も、驚くほど多く見え、満月の夜はその光で少し明るく感じられる。そして虹の州ハワイだけあり、何十回と虹を見る事ができる。多くの自然をこれから折に触れ紹介していきたいと思う。
≪堀内章子(ほりうちしょうこ)/プロフィール≫
フリーランスライターは98年の長女の出産を機に。以後シンガポール、サンフランシスコと主人の駐在で移動を重ね、2001年東京に。その後独立し、ライター、編集、そして07年からは家族4人でハワイに移り、対日本マーケティングのコンサルタントと3足のわらじ状態に。 親子留学ってどうなの?のブログ
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『虹の州ハワイより』 /堀内章子
2009-11-25T00:02:00+09:00
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第3回 チーパーパオ −中国・マカオ− 地元で人気のB級グルメ
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
マカオは食の宝庫である。もちろん、B級グルメもおいしいものが目白押し。中でも特にオススメなのが、マカオならではの味、チーパーパオだ。
私がはじめてチーパーパオに出会ったのは、5〜6年前のこと。ひと...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
マカオは食の宝庫である。もちろん、B級グルメもおいしいものが目白押し。中でも特にオススメなのが、マカオならではの味、チーパーパオだ。
私がはじめてチーパーパオに出会ったのは、5〜6年前のこと。ひとりでふらりと入った食堂で、メニューの中に見つけたのが、「猪」「包」という字が並ぶこの料理だった。字面から、勝手に中華まんの皮に豚の角煮をはさんだようなものを想像してオーダーしたのだが、果たして私の目の前に出てきたのは……こんがり焼いたローストポークをソフトフランスのようなパンにはさんだだけのものだった。
「やられた!」と思った。ここは中華圏でありながら、ヨーロッパ色も濃い、マカオなんだ、とあらためて実感した。しかし、こう来たかぁとしみじみ思いながら、ガブリとひと口……お、おいしい! あまり期待していなかったせいもあるのだろうが、予想外のおいしさだった。
その後、気をつけてみるとチーパーパオはマカオ名物らしく、町中の茶餐廳(チャーチャンティン=広東語 注1)の入り口には、「豬扒包」の字が躍るのぼり旗や垂れ幕がけっこう目につく。どこもうちが本家だ、老舗だ、オリジナルだ、と言わんばかりのアピール合戦。いくつか食べ比べてみたが、いずれもそれなりにおいしいので、どれを選ぶかは、ある程度、食べる側の好みの問題だろう。
とはいえ、やはり評判の店というのはどこにもある。
写真はマカオでも一番人気との呼び声高い、大利來記咖啡室(タイレイロイゲイガーフェーサッ=広東語)のもの。店はマカオの中心地からははずれたタイパ島にある飾り気のないローカルな茶餐廳だが、このチーパーパオができあがる15:00ちょっと前になると、どこからともなく人々が集まってきて、あっという間に行列ができる。
テイクアウトする人はもちろんだが、店で食べる人もここに並ばなければこの逸品にはありつけない。列に並ぶのなんて、好きでも得意でもない人々が、マナーよく順番を待つのだから、人気のほどがうかがえる。
おいしさの秘密は、なんとこの時代に、薪をくべるオーブンを使った焼きたてパンと、秘伝のタレに漬け込んで、たっぷりの油で揚げ焼きにした、パンから大幅にはみ出したローストポーク。マカオに行く機会があったら、ぜひ長〜い橋をわたってタイパ島まで足を延ばしてほしい。きっと後悔はしないはずだから!
注1:香港、マカオによくある、軽食も揃う食堂兼喫茶店
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。忘年会シーズンを控え、何も予定のない日は質素な食生活を……と心がけるも、おやつの誘惑にだけは勝てない毎日。
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『旅する胃袋』/長晃枝
2009-11-25T00:00:59+09:00
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第9回 ハロウィンは高級住宅地で
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
“Trick or Treat”魔女やお姫様や海賊に仮装した子どもたちが合唱する。家の門の前に立っている家主であるドラキュラが”Happy Halloween!”と言いながら、その子どもたちにキャンディーを配る。
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文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
“Trick or Treat”魔女やお姫様や海賊に仮装した子どもたちが合唱する。家の門の前に立っている家主であるドラキュラが”Happy Halloween!”と言いながら、その子どもたちにキャンディーを配る。
おそらくアメリカなどではそう珍しいハロウィンの光景ではないだろうが、一軒家に住むという贅沢ができるのは、少数の大金持ちの特権である香港では、かなり特別なことである。
香港の離島には、知る人のみぞ知る、子どもたちが仮装してまわることができる高級住宅地がある。近所に住んでいる人の情報や口コミでその有難い存在を知った親たちは、夕方になると子どもを連れ、ついでに自分も仮装をして、目的地へと向かう。
ギュウギュウ押されながら、家賃が月15万香港ドル(約170万円)はする家のドアをたたく。庭先に頭が転がっていたり、ガレージから手首や足の先が出ていたり、庭の木にムンクの「叫び」のようなマスクがたくさんぶらさがっていたりと、どの家もこだわりがある。それでも5軒に1軒くらいは家が真っ暗。暗黙の了解で家の明かりがついていない家には行ってはいけないことになっている。
どうやら今年のハロウィンは土曜日だったので、大勢の子どもたちが集まるのを恐れて、アジアのリゾートに避難している家が多いようだ。ハロウィンのお菓子&家のデコレーション代と東南アジアの週末リゾートの旅はそう変わらないようである。
その高級住宅地の住人である友人に聞くと、毎年お菓子代に4000香港ドル(約4万6千円)を費やすそうだ。それでも午後6時に家の扉を開けてから、そのお菓子が全部なくなるまでにかかる時間は45分。今年は週末だからその倍をお菓子代に当てたそう。それでも1時間ちょっとで「ごめんなさいね、もうないの」と訪れてきた子どもたちに言うのは辛いと言う。どんなにたくさん用意しても、大量に訪れてくる子ども全員を満足させるのは不可能である。出費が多いにもかかわらず、申し訳ない感を感じる住民のみなさん。
ハロウィンは、一年に一度だけ、一軒家の住人に同情する日。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。最近ベリーダンスの魅力にはまり、目指すはママさんベリーダンサー!?
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『香港の離島から』/みゆきりん
2009-11-25T00:00:40+09:00
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第22回 巨大な落とし穴
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
ずっと噂には聞いていた。リヤドからひたすら西へ行くと、とても大きなクレーターがあると。クレーターって何だろう? いん石が落ちたのか?
地面にパックリと大きな穴が開いてい...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
ずっと噂には聞いていた。リヤドからひたすら西へ行くと、とても大きなクレーターがあると。クレーターって何だろう? いん石が落ちたのか?
地面にパックリと大きな穴が開いている写真を見て、一体どれほどの大きさなのかと、この目で確かめてみたくなった。ちょうどタイミングよく、夫がオフロードの旅を計画しているのを知り、迷わず付いて行くことにした。
アラビア半島西部には休火山帯があり、クレーターが幾つもある。あの頃はまだ、グーグルアースなんていう便利なものはなく、秘密裏に入手したNASAの航空写真で確認したのだった。ちょっと目にはいん石落下によるクレーターに見えるが、火山活動で出来たものだという。サウジ在住中は、初めて訪れるという人たちを道案内がてら、リピーターとなった。リヤドから2泊3日ほどで出かけるキャンプの旅に最適なのだ。早朝に出発すれば、その日のうちにクレーターへ到着できる。
「あと2キロだ」
GPSを頼りにハンドルを握る夫は、画面にばかり気をとられていた。
と、いきなり目の前に大きな穴が現れた。
「ブレーキ、ブレーキ! 早く止まって!!!!」
寸でのところで、クレーターに落ちるところだった。
落差300メートルはありそうだ。落ちたら車は潰れるなあ……。
落ちる車に乗っている人間がどうなるか、まるで考えないところが私らしいかもしれない。
実のところ、既にこのクレーターは観光地としてサウジ人にもよく知られており、穴のすぐ際まで舗装道路が続いている。沙漠装備のない普通乗用車でも、充分見物に行けるのだ。それを知らなかった私たちは、サウジ在住欧米人御用達の古いふるーいガイドブックの通りに沙漠からアプローチ、時おり砂にスタックしながら行き着いたのだった。
何もかもが懐かしく思い出される昨今、アラビア半島は益々遠い存在になってしまった。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。サウジアラビアを離れて早2年が過ぎ、次の赴任もアラブ圏を狙っている。が、定年退職が近くなってきた夫は、あまり乗り気でない様子。次の転勤先がどこになるのか、インシャーッラー(神のみぞ知る)な状況に歯ぎしりしている今日この頃。
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2009-11-25T00:00:02+09:00
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第13回 砂のお城
連載『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
リオデジャネイロの海岸で、観光写真のバックに収まる彫刻がある。ビキニ姿の女性やお城など、細部まで細かに彫り上げた砂でつくった彫刻だ。
砂と水と糊を混ぜ...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
リオデジャネイロの海岸で、観光写真のバックに収まる彫刻がある。ビキニ姿の女性やお城など、細部まで細かに彫り上げた砂でつくった彫刻だ。
砂と水と糊を混ぜ合わせ、型を使用して大まかに骨組みを組み立てた後、窓や戸など細かい部分を細い棒で形作っていく。大きさにもよるが、作業には1ヶ月近くかかり、6ヶ月間の展示が可能だという。雨天の際はビニールシートをかぶせておくだけで、さほど影響ないというから驚きだ。
ブラジルでは70年代に流行った「砂の女」というドラマがきっかけで、「ブラジル砂像コンクール」が開催された。このコンクールの優勝者は国際砂像フェスティバルへ招待され、ブラジル代表として作品を世界に発表した。中でもペドロ・ジェルミ氏は有名で、サントスやセント・ヴィンセントの海岸で砂像をたくさんの生徒たちに教えていたとか。
90年代に入ってコンクールが終了した後、この砂像アートは衰退するが、それでもコパカバーナ海岸を歩けばすぐ見かけることができる。2016年五輪のリオデジャネイロ開催が決定した直後からは、オリンピックをアピールする砂像アートが登場した。もちろん観光客も殺到。砂の彫刻家の多くは、砂像をバックに写真を撮る観光客からのお金で生計を立てている。「海岸の砂もオリンピックに参加するよ」とオリンピックによる経済効果に期待をよせた。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジル在住9年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや6年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に夜の街に出没し、サンバのステップに足を絡ませる日々を過ごす。ブラジルをあそぶブログ
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2009-10-25T01:43:29+09:00
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第21回 沙漠にいたカノジョ
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
リヤドに住んでいた頃、自宅から一番近い沙漠の崖の上、置き去りにされていた車があった。正しくは、車の残骸というべきか。初めて訪れた時、遠景からひと目見て夫はそれが日本の車「フ...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
リヤドに住んでいた頃、自宅から一番近い沙漠の崖の上、置き去りにされていた車があった。正しくは、車の残骸というべきか。初めて訪れた時、遠景からひと目見て夫はそれが日本の車「フェアレディーZ」であると断言した。しかも、初期の頃の特徴あるボディー。さすがに昔、自分が乗っていた車はよく分かるらしい。
一体いつからその場所にあったのか知らないけれど、車体には弾丸の痕が幾つも見られた。きっと若いサウジ人たちに、射撃の的代わりにされていたのであろう。ひとけのない所だからこそ、乗り捨てるのには絶好の場所に違いない。そして暗くなってから、銃でウサギやネズミを狙う代わりに、Zを狙って銃弾を発射するのだ。夜の沙漠のお楽しみだろうか。
日本や北米で、爆発的な人気だったスポーツカー。
アラビア半島の沙漠に捨てられ、朽ち果てた哀れ日本車よ。キミはなぜそんなところにいるのだ……と、呟いてみたところで返事があるわけもない。はるばる日本から、或いは北米経由でやって来たのだろうか。沙漠の国で誰かが乗っていたのだと思うと、「アンタ、どこから来たの?」なんて思わず声に出てしまった。こんなところまで連れて来られて……と思うと、何だか我が身と重ね合わせて感傷的になってしまう。
夫は夫で、自分が長らく本国カナダに置き去りにしている240Zを思い出し、その場所を通るたびに、愛車のことをあれこれと口にした。
仲間内では長らく、沙漠で目印になっていて、「Zを左折」というのが合い言葉のようだった。それなのに、離任直前に行った時には、跡形もなく消えていた。
きっと誰か車好きが連れて帰って、乗れるように修理していると信じたい。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。本来なら外地とカナダ本部を交互に勤務という流れのはずの夫の仕事が、20年も出ずっぱり。東から西まで、アジアばかりをたらいまわしされ、帯同赴任した。現在は、ようやくカナダ戻りで元の趣味(カーレース)に復帰した夫のアシスタントに。9月にあったTARGA ニューファンドランドラリーでは、サポートスタッフとして同行した。http://timzgarage.exblog.jp/
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2009-10-25T01:00:49+09:00
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第8回 中秋節はビーチで乾杯
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
香港の祝日は旧正月をはじめ、旧暦でお祝いをする行事が多く毎年その日にちが違う。中秋節もそのひとつであり、去年は9月にあったのに、今年は10月3日というように少しややこしい。昔の中国では7〜...
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
香港の祝日は旧正月をはじめ、旧暦でお祝いをする行事が多く毎年その日にちが違う。中秋節もそのひとつであり、去年は9月にあったのに、今年は10月3日というように少しややこしい。昔の中国では7〜9月が秋とされていて、その期間のちょうど真ん中にあたる8月15日は中秋になる。秋のイメージとは程遠い湿度と温度の高い香港ではあったが、お祭り気分の人たちにとってはそんなことはどうでもいいようである。
毎年この時期になると香港中の人が月餅の消費者になる。伝統的な月餅は蓮の実のアンにアヒルの卵の黄身の塩漬けが入った、ひとくせある食べ物なのだが、最近ではアイスクリームの月餅やカスタードクリームが入ったケーキのような月餅も出回り、それならば買おうという若者が買いあさる。
その現代版月餅を片手に持ち、反対の手にはワインボトルを持って夕方頃ビーチにでかける。友達同士で持ち寄った料理をゴザシートの上に並べ、ムードは月見というよりはピクニック気分。日が暮れるころにはどこからともなく人が集まり、ビーチは賑やかになる。
子どもたちはグロースティックという光る棒をつなげてボールを作ったり、砂に立てたりしている。ティーンエイジャーの女の子たちは光るイヤリングやネックレスを身につけ、存在感をアピールしている。伝統的な紙でできたランターンを持っているおじさんもいれば、音楽の流れるキティちゃんのランターンを持って走り回る少女もいる。ロウソクを灯し自分たちの世界に浸っているカップルがいるかと思えば、ビールを片手にガハハと笑うお父さんたち。こんな時くらいはとシャンパーンをあけ、月餅をつまむお母さんたち。誰もお月さまを見ていないけれど、それぞれが自分流に楽しむ中秋節。
お月さまに乾杯!
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。All About 香港の新ガイド。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2009-10-25T00:00:18+09:00
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第2回 麻豆腐・マードウフ−中国−北京で今も親しまれる庶民の味
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
最初に断っておくが、タイトルに脱字はない。そう言わなければ、「婆」という字が抜けてんじゃないの? と思う人が大半だろう。
とはいえ、似ているのは名前だけで、見た目はそもそも、豆腐にすら見えない...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
最初に断っておくが、タイトルに脱字はない。そう言わなければ、「婆」という字が抜けてんじゃないの? と思う人が大半だろう。
とはいえ、似ているのは名前だけで、見た目はそもそも、豆腐にすら見えない。そして、その姿は……お世辞にもおいしそうとは言い難い。写真のものはまだ形が整っているが、一般的には小さな女の子がままごと遊びのときにふるまってくれる「泥んこのごちそう風」なのである。
果たしてその正体は!? おおまかに説明すると、おからを醗酵させて、炒めたものだ。
ただし、使うのは大豆ではなく緑豆。ゆでてすりつぶし、絞って豆乳を作る。そこから澱粉を取り出して春雨にするのだが、どちらかというとメインの産物はこの春雨のほうだ。
その豆乳の絞りかすが麻豆腐の材料。まず、これを醗酵させ、さらに雪菜(シュエツァイ)、あるいは雪里紅(シュエリィホン)と呼ばれる青菜の漬物、青豆などを加えて羊の脂で炒め、唐辛子入りの油をかける……というのが、よくあるパターンのようだ。が、広く親しまれている庶民の味なので、店によって入れるものや味付けが微妙に異なるらしい。
当然のことながら、なかなか個性的な味で、初めて食べる外国人の中には、とても受け付けない人も多いと聞く。しかし、日本人は豆や発酵食品を日常的に口にするため、抵抗なく食べられる人も少なからずいるらしい。私も今回初めて食べたのだが、見た目とはうらはらに、意外とイケる。ひと口、ふた口、さらに……とけっこう後を引くから不思議。
酸味はさほどでもないが、塩気はかなり強い。もっとも、そこがビールのあてにピッタリなのだとか。ほとんど下戸で、おまけに苦いものと炭酸が得意ではないため、ビールを飲むことはまずない私ですら、これがビールに合いそうなのはよくわかる。
老北京(ラオベイジン)と呼ばれる「古きよき北京」の頃から受け継がれる、まさに北京っ子のソウルフードといえる麻豆腐。庶民的な北京料理の店なら、たいていはメニューに載っているので、トライしてみてはいかが?
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心として旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。食欲の秋到来でワクワク! 晩ごはんに食べた新サンマもおいしかった〜。そろそろ新米も届く頃。世界中においしいものは数あれど、白いごはんだけはやっぱり日本のものが一番かな。
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『旅する胃袋』/長晃枝
2009-09-25T00:00:01+09:00
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第7回 香港・南Y島(ラマ島)‐ヒッピーとシーフードの島
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
香港の心臓部にあたるセントラルのフェリー乗り場から、離島行きのフェリーがいくつも出ている。香港には香港島以外に、実は235以上の島がある。
フェリー乗り場でピープルウォッチングして...
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
香港の心臓部にあたるセントラルのフェリー乗り場から、離島行きのフェリーがいくつも出ている。香港には香港島以外に、実は235以上の島がある。
フェリー乗り場でピープルウォッチングしていると、行き先の島の様子がなんとなくわかる。観光客は別として、乗る人の身なりや態度がずいぶんと違うからである。
南丫島の乗り場に集まるのは、ペースが早くて、きちんとしている香港島に馴染めなさそうな人たち。エスニックファッションの女性も、髭や髪をのばしている男性も、まるでインドのゲストハウスにでもいそうなヒッピー集団のよう。真昼間からビールを片手に、なんだか楽しそうに会話している。道の反対側に建っている、88階建ての国際金融中心のオフィスビル内であくせく働いているスーツを着た人たちとは対照的である。
自転車しか通らない島に辿り着くと、道端では犬や猫が気持ち良さそうに昼寝をしている。人間に触られたくらいでは動かない。
観光客の間ではおいしいシーフードが食べられる島として知られているだけあって、数軒並んでいるレストラン名には全部『○○海鮮酒家』とついている。水槽の中には新鮮な魚介類が泳いでいて、選ぶとその場で調理してくれる。この水槽の中にいる、明日は我が身の蟹でさえ「まあ、その時はその時じゃ」という落ち着いた態度のよう。
レストランの店員さんたちは椅子にドカンと腰掛け、観光客を見ながらお茶をすすっていたり、自分のご飯を一生懸命食べていたりとかなりマイペース。
この島の多くの住人は、ここで生まれ育った香港人や自然と自由を愛する西洋人。彼らの職業はミュージシャンだったり、芸術家だったりする。ロハスな生活をしているので、自分でオーガニック野菜を育てていたりもする。
ヒッピーは自然を求め、観光客はシーフードを求める。一見共通点がなさそうな両者の求めるものは同じ島にあった。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。数年ぶりにボクササイズを再開し、筋肉痛に悩まされる日々を送っている。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2009-09-25T00:00:00+09:00
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第12回:洗濯紐に吊るされたブラジル文学
連載『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
コルデルとは「紐の文学(Literatura de Cordel)」のことで、ブラジル東北部の屋台や新聞売り店などで、洗濯紐にぶら下げられて売られている小冊子だ。
その昔...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
コルデルとは「紐の文学(Literatura de Cordel)」のことで、ブラジル東北部の屋台や新聞売り店などで、洗濯紐にぶら下げられて売られている小冊子だ。
その昔ポルトガルで、口伝承だった詩や物語が安いシンプルな紙に印刷されたのが始まり。植民地政策と共に海を渡り、ブラジル東北部で人気を獲得した。内容は伝説や口承文学、架空の物語、有名人の話など時事ネタ、アダルト系から社会風刺まで。歴代最も人気があったのは義賊の英雄ランピアンと、自殺したジェトゥリオ・ヴァルガス元大統領のネタだとか。昨年のブラジルの日本人移民100周年、そしてマイケル・ジャクソンの訃報の話題など、最近は内容もインターナショナル化した。
東北部では一般的な、コルデル一色の新聞売り店をリオデジャネイロで見かけた。よその土地でよく見る光景を、他の土地で見るとなぜだかうれしくなる。生まれ育った土地を離れ、別の大地に居住するコルデルに、母国から離れ地球の反対側に暮らす私自身を重ね合わせているからなのかもしれない。
ピンク、緑、黄色と華やかなコルデルの表紙は、東北部特有の版画で飾られている。見ているだけでかわいい版画に、手のひらサイズの小冊子は一冊250円ぐらいから。来年はブラジル大統領選。ユーモアと皮肉たっぷりのコルデルを、大統領を選ぶ材料にするのはどうだろうか。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジル在住9年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや6年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に夜の街に出没し、サンバのステップに足を絡ませる日々を過ごす。ブラジルをあそぶブログ
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2009-08-25T00:03:28+09:00
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第6回:メルカドにあるもの
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
メルカド(市場)のことを書かずして、グアテマラを語ることはできない。グアテマラ人の生活、そして胃袋を支えているのがメルカドだ。食べ物はもちろ...
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
メルカド(市場)のことを書かずして、グアテマラを語ることはできない。グアテマラ人の生活、そして胃袋を支えているのがメルカドだ。食べ物はもちろん、衣類、家具、雑貨、おもちゃ、花、家畜まで、ここでなら何でもそろう。
常設のメルカドもあるが、それとは別に、週1、2回大きなメルカドが開かれる。近隣の村々で曜日が違うため、商売人たちはサイクルを組んで売り歩く。
私の住むソロラは、火曜日と金曜日がメルカドの日。県庁所在地であるソロラのメルカドは特別大きく、ソロラ県内の人々がバスやピックアップトラックで押しかけ、すごい人出となる。前日から荷物は運び込まれており、朝うっすらと明るくなると同時にメルカドは始まる。通常道路である場所も売り場になり、人がやっと一人通ることができるぐらいの隙間を残しびっしりと店が並ぶ。大きな売り場もあるが、大部分を自分の家で採れた野菜や果物を売るおばさんたちが占める。買い物をする人たちが立ち止まり、交渉を始めると、そこらじゅうで大渋滞が巻き起こり、メルカドは人と物でごった返しの状態になるのだ。
10年前、はじめてメルカドに連れてきてもらった時のことを今でもよく覚えている。売り子のおばさんたちは、みんなが揃ってソロラの民族衣装。前に積まれた野菜が買いたくて、「いくら?」と聞こうものなら「チョーカー!」と怒鳴られる。「チョーカー?」はじめて聞くスペイン語、私を睨むような顔で見ている浅黒いおばさんたちの顔。恐怖以外のなにものでもなかった。
今では、おばさんたちは怒鳴っているのではなく、共通語のスペイン語がほとんど話せないため、知っている言葉を大声で繰り返すことや、1チョーカーは25銭ターボのことなどいろいろと学んだ。怖かったおばさんたちとも笑顔で値段交渉ができるようにもなった。
時代の流れとともに急速に変わっているグアテマラだが、このメルカドの風景だけは変わらない。いつでもここにはグアテマラ人の生きる力が満ち溢れている。
≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住10年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。仕事=旅は素敵な方々と出会うことのできる、私にとっての宝物。グアテマラの友だちから「光代は僕たちよりグアテマラを知ってるよね」とお褒めの言葉を頂いている……。
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『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑)』/白石みつよ
2009-08-25T00:00:18+09:00
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第1回 参鶏湯・サムゲタン−韓国−暑い韓国の夏を乗り切るスタミナ料理
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
7月も半ば過ぎには東京でも梅雨が明け、本格的な夏に入る。夏の土用は、最も暑い盛り、立秋までの18日間。旧暦で数えるので毎年変わり、今年は7月19日〜8月7日となる。
この夏土用の期間中にある丑の日に、...
文・写真:長晃枝(日本・東京)
7月も半ば過ぎには東京でも梅雨が明け、本格的な夏に入る。夏の土用は、最も暑い盛り、立秋までの18日間。旧暦で数えるので毎年変わり、今年は7月19日〜8月7日となる。
この夏土用の期間中にある丑の日に、夏バテ防止にうなぎを食べる習慣があることは広く知られている。土用の入り当日が丑の日に当たる今年は、7月31日にも、もう1度丑の日があるので、2回チャンスがあるというわけだ。もっとも本来はうなぎでなくとも「う」のつくものを食べればよかったらしいが……。
お隣の国、韓国にもこれに似た風習がある。土用にあたるのは三伏(サンボッ)。三伏の入りの日が初伏(チョボッ)で、終わりの日が末伏(マルボッ)そして、その中間に中伏(チュンボッ)があって、この3つの伏日(ポンナル)をまとめて三伏と呼ぶ。こちらも旧暦に基づいており、今年の初伏は7月14日、中伏は7月24日、末伏は8月13日。そしてこの伏日には、やはり夏の暑さに負けないように精のつく食べ物をとるという。
犬鍋もそのひとつだが、さまざまな事情によりその人気はかつてほどではない。昨今は、同じく精のつく食べ物として知られる参鶏湯(サムゲタン)を食べるのが一般的。もちろん、うなぎと同じく参鶏湯そのものは一年中食べられるポピュラーなメニューで、人気店にはいつでも行列ができている。しかし、伏日ともなれば、参鶏湯を出す店はどこであれ、たくさんの人が列を成すのである。
参鶏湯は、丸鶏のおなかにもち米、朝鮮人参、栗、にんにく、なつめを詰め込んで、じっくり煮込んだもの。特に味付けはされていないので、食べるときに塩やキムチを加えて、好みの味にする。よく煮込まれているので、肉は箸で簡単に骨からはがれるほどに柔らかく、味も淡白。素材の旨味がたっぷり出たスープととろとろのもち米は、上等の鶏粥のようで本当にやさしい味わいだ。
こってりしたものが多い韓国料理にあって、これほどさっぱりしたものが「精のつく食べ物」というのもちょっと意外だが、辛くて濃い目の味付けの韓国料理に飽きたときにもオススメ。伏日でなくても、韓国を訪れる機会があれば、ぜひ一度、味わってみてほしい。
≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心として旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。旅に出るといつも、食べられる量と食べたいものの量のバランスが合わず……着脱交換できる胃袋が欲しいと切に思う。
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『旅する胃袋』/長晃枝
2009-07-25T00:02:35+09:00
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第18回 大家族で食べる日曜の昼食「トオナイ」
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
サモアでは日曜の礼拝後の昼食をトオナイと呼び、普段の食事より少し豪華なご馳走を味わう。もちろん、それぞれの家庭ができる範囲での“ご馳走”だが、田舎では、サモア伝統料理の...
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
サモアでは日曜の礼拝後の昼食をトオナイと呼び、普段の食事より少し豪華なご馳走を味わう。もちろん、それぞれの家庭ができる範囲での“ご馳走”だが、田舎では、サモア伝統料理のウム(石蒸し焼き料理)を楽しむところも多い。
我が家がサモアに暮らした4年間は、同じ敷地内に暮らす大家が、私たち家族をいつもトオナイに招待してくれた。クリスチャンではない我が家は、教会には行かなかったが、それでも、毎週日曜、家族の一員のように持て成してくれ、大家の家族、親戚一同といっしょにウム料理を楽しんだものだ。せめてもの心尽くしで、私も毎回必ず手料理を持参した。
あぐらをかいて床にどっしりと座り、そこにいるみんなとざっくばらんな雑談をしながら、近況を語り合ったり、冗談に大笑いしたりとご馳走もさることながら楽しいひとときを過した。
それぞれが、それぞれの予定を優先するのが当たり前という社会で暮らす今、「日曜には大家族がいっしょに食事をするもの」といったあちらの常識が恋しくなる。サモアの人々が、「家族の絆を高めるため」という目的意識を持って、その伝統を守っていたとも思えないが、サモア時代のトオナイの写真を眺めながら、今となってはとても良いことだったように思えて懐かしい。
≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年のんびりゆったり子育てとシンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住し、4年間の南国生活を楽しむ。2001年より、アメリカ合衆国・ミシガン州在住。HP「ぼへみあんぐらふぃてぃ」 、サモア在住時の暮らしを綴った電子本『フィアフィアサモア』 はでしたる書房で発売中。世界各地からの子育て事情を伝える『地球で子育て! 世界のお父さん・お母さんバンザイ』 サイト運営・管理人。
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『サモアの想いで』/椰子ノ木やほい
2009-07-25T00:00:48+09:00
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第6回 ドラゴンボートは別れの季節
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
ドーン、ドーンと遠くから聞こえてくる太鼓の音。端午の節句に香港の各地で行われるドラゴンボートレースに参加するチームメンバーは、何カ月も前から毎週日曜日に練習をする。ボートの先頭で太鼓...
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
ドーン、ドーンと遠くから聞こえてくる太鼓の音。端午の節句に香港の各地で行われるドラゴンボートレースに参加するチームメンバーは、何カ月も前から毎週日曜日に練習をする。ボートの先頭で太鼓を叩く太鼓手のリズムにあわせて、20人の漕ぎ手は一斉にオールを漕ぐ。一人でもテンポが合わないと、ボートはまっすぐ進まないチームスポーツである。ドラゴンボート(龍舟)の歴史は2000年さかのぼるが、競技として誕生したのは1976年のこと。今では世界選手権大会も開催されるほどの規模になっている。
レースの当日は参加者も観客もお祭り騒ぎ。仮装して楽しんでいるパーティーチームもあれば、ストレッチをしながら作戦を立てている真剣勝負チームもある。以前私が所属していたチームは後者だった。元ボクサーのイギリス人が率いるチームメンバーは皆、彼のボクシングクラスに通うフィットネスおたくたち。中国の習慣である龍が先端についているボートに、多国籍の私たちが乗り、競う。7カ国の違う国からやってきた老若男女が漕ぐボートはまさに国際都市香港を象徴するものであった。
賑やかな1日が終わると、別れの月が到来する。学期末を待ち、引っ越しをする人が多いからである。新しい土地へ移る人もいれば、元いた場所に戻る人もいる。6月に入るとあちこちで見かけるようになるのが、カラフルな引っ越し屋さんのトラック。息子のクラスでも先生をはじめ、クラスの4分の1のお友達が香港を去る。アメリカ、カナダ、イギリス、スウェーデンと行先も様々。仲のいいお友達と離れるのは親も子もさみしい。
毎年ドラゴンボートの太鼓の音が聞こえなくなると、少し感傷的になるのである。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。プーケット国際マラソンにむけて現在トレーニング中。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2009-06-25T00:13:28+09:00
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第5回 自然の色で織るグアテマラ
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラは織物の国。独特の織り模様が村ごとにあり、その数は130種以上。織り手は女性たち。家事の合間に、家の軒先で精をだす。織りあげた布は...
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラは織物の国。独特の織り模様が村ごとにあり、その数は130種以上。織り手は女性たち。家事の合間に、家の軒先で精をだす。織りあげた布は家族や自分の民族衣装にしたり、メルカド(市場)や地元のお店で売る。観光客には、ランチョンマット、バック、ポーチなどに加工して売られている。多くの女性グループが生活自立のために活動しているが、需要が供給を大きく上回っており、売れ残った織物が山積みになっているのが現状のようだ。
そんな中、ソロラ県アティトラン湖畔のサン・ファン・ラ・ラグーナ村では、5年ほど前から天然染料の復興に力を入れ始めた。いくつか誕生した女性グループの1つが アルテサニーア・サン・ホセ。 時々、ここの友だちを訪ねる。
ざくろ、藍の木、マリーゴールドの花、にんじんの皮、アボガドの木、ココナッツの皮、コーヒーの葉など、自分たちの身近にあるもので糸を染める。色止めにも植物を煮出したエキスを使い、100%天然素材で染めた木綿糸が生まれる。
現在グアテマラで使われている糸は、化学染料で染めたものがほとんど。彼女たちの糸は、この何倍もの手間と費用がかかってしまうが、それだけの価値はある。自然から生まれる色、その色に染められた糸で織られた布は、出来上がったときの風合いがまったくちがう。なんともやさしい色合いで、見ているだけであたたかい気持ちになってくるのだ。手にした織物から、自然の、織り手のメッセージが伝わってくる。
今までは、織るだけだった彼女たちも自分たちで売ることを始めた。メンバーの家の一部を使い13人が交代で店番をする。買ってくれる人たちと、直接触れあう中で生まれるアイデアも多いらしく、訪ねるたび新たな作品が登場している。
店先で織物をする彼女たちの笑顔は、みんなの織物のようにやさしい。この村には、いつも穏やかな風が吹いている。
≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住10年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。仕事=旅は素敵な方々と出会うことのできる、私にとっての宝物。グアテマラの友だちから「光代は僕たちよりグアテマラを知ってるよね」とお褒めの言葉を頂いている……。HP
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『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑)』/白石みつよ
2009-06-25T00:02:09+09:00
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第11回 恐怖のゴリラ女、モンガ
連載『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
ブラジルにはプレイセンターと呼ばれる、移動もしくは常設の遊園地が各地にある。といっても日本のような大型遊園地ではなく、10数個のアトラクションがある程度の...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
ブラジルにはプレイセンターと呼ばれる、移動もしくは常設の遊園地が各地にある。といっても日本のような大型遊園地ではなく、10数個のアトラクションがある程度の小さいものだ。とくに都市部から離れれば離れるほど、その規模は小さくなる。
80年代のモンガは、田舎の遊園地の花形キャラクターだった。19世紀に実在した、見世物小屋で踊っていた極端な多毛症のメキシコ女性がモデルとなっている。身体障がい者などが生活手段のために見世物小屋で働いたり、売り飛ばされたりという話は、世界共通のようだ。この女性をモデルとして創り上げられたのが、「ゴリラ女、モンガ」。美女がゴリラに変身するという恐怖のストーリーは、遊園地の目玉アトラクションだった。今ではローラーコースターなどにその座を奪われてしまったが、モンガはその当時の子ども達をとりこにしたブラジル版キング・コングだったのだ。
美しい女性の姿をしたモンガが、ビキニ姿でダンスを披露する。突然軽やかな音楽が恐怖心をそそる効果音にかわり、ゴリラの皮膚が現れ、鋭い牙が覗き、目が赤く光ったかと思うと照明が落ちる。「皆さん落ち着いてください!」とのアナウンスと共に、再び観客の視界に現れるのは、世にも恐ろしいゴリラ!この時点で走って会場から逃げ出す子どもが大多数で、ゴリラが観客席に向かって歩き出す時には、遊園地中に悲鳴が響き渡る。
6歳になったばかりのわが息子は、ゴリラに変身するまで我慢することができなかった。観客の悲鳴を聞いて、「みなくてよかった」とにっこり。その後気をとりなおして、会場の前のゴリラ人形、モンガを記念撮影。「恐ろしさが伝わってくる」と、ピンボケ写真のできばえに満足したようだ。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジル在住8年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや6年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に楽しむ議論はタブーなし。討論好きのブラジル人に混じってスピーチ力、高めてます。ブログ、「VIVAカリオカ!」
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2009-06-25T00:00:03+09:00
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第20回 山の茶屋にて
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
アラビア半島西部には、軽く2000メートルを超える山々が連なっている。南はイエメン国境近くから、北はヨルダン国境あたりまで、中には3000メートルを超える山もある。冬には雪もチラ...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
アラビア半島西部には、軽く2000メートルを超える山々が連なっている。南はイエメン国境近くから、北はヨルダン国境あたりまで、中には3000メートルを超える山もある。冬には雪もチラつくという山岳地帯、沙漠の暑さは下界の話だ。
在住外国人だけでなく、サウジ人にも夏場の避暑地として人気があるのが、アブハという街。断崖絶壁の切り立った崖に、ロープウェイが何本か架かっていて、絶景が楽しめる。高所恐怖症にはかなり難儀だが、ゴンドラ自体はオーストリア製の立派なものだ。ひとりでお茶でもしながら待っていたかった私だが、そんなことは出来ない国だし、グループ行動だからと恐る恐る付いて行く。
落ちれば命はないよなあ……などと思いつつ、痛みも苦しみもなく派手に逝くのもまた、運命に違いない。インシャーッラー(全ては神が良いようにお導き下さる)、心の中でそっとつぶやく。
そんなゴンドラを途中駅で下りて、皆で歩いて行った峠の茶屋は古い家屋。元々は住居だったというが、今はこの小屋が歴史的保存物になってしまい、元の住人は近くの街へ越してしまったのだそうな。
マリーゴールドのような、オレンジ色をした花の王冠を頭にのせる男たちの話に聞き入りつつ、振る舞われた紅茶をすする……。激しい甘味が脳天から突き抜けてゆく強烈な甘さのお茶は、きっと精一杯のもてなしなのだろう。
今では観光名所になった茶屋だが、それでも訪れる人は限られている。時おりグループでやって来る人々を相手にしているのは、やっぱり外国人労働者。イエメン人という彼のご先祖さま、むかーし昔はこの辺りの住人だったのかもしれない。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。6月になって、枯れたと思っていたブドウの木がようやく芽を出して来た。夏というにはあまりに寒い、カナダ東部。ババシャツどころか、メリノウールの長袖肌着が手放せない。未だに身体がアラビア半島仕様のままなのか、それとも加齢が原因か、いずれにしても温暖な地に住みたいものだ。
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2009-06-25T00:00:01+09:00
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第5回 仏陀のお誕生日会
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
5月2日は仏陀の誕生日だった。その日は祝日なのだが混雑が予想されるので、その数日前に娘と仏陀のお誕生日のお祝いをしに行くことにした。
行き先は香港最大の仏教寺院である、ランタオ島...
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
5月2日は仏陀の誕生日だった。その日は祝日なのだが混雑が予想されるので、その数日前に娘と仏陀のお誕生日のお祝いをしに行くことにした。
行き先は香港最大の仏教寺院である、ランタオ島の山頂にあるポーリン寺。1998年に空港がランタオ島に移転してから、ニョキニョキと高層アパートが建てられた空港に一番近い街、トンチュンからゴンピン360というケーブルカーに乗る。オープン当初はよくストップしては観光客を数十分、宙ぶらりんにしていた。時間外にキャビンが山中に落ちて、数か月間運行中止になったこともあるかなりのお騒がせモノ。最近では世界初の下がガラスになっているクリスタルキャビンを売りだしているが、このケーブルカーに28分間乗るというだけで充分にスリルがあるのだ。
忙しく離着陸する飛行機が右手に見え、左手方向には潮干狩りをしている人たちがアリのように見える。
ケーブルカーを降りてまっすぐ進むと世界最大の屋外銅像座仏がランタオピークに向かってちょこんと座っている。すっかり観光化されてしまっているが、やはりあの悟った目でみつめられると穏やかな気持ちになる。
反対側にあるポーリン寺の境内にたどりつく前から、お線香の煙で目が痛くなる。本堂の前には3ヵ所にベイビー仏陀の像があり、まわりには花びらの浮かんだ水がある。この水を柄杓ですくい、仏陀の頭や肩にかける。そうすることにより仏像が清められ、また水をかけた人も洗浄される。とりつかれたように何度も何度も水をかける娘の真剣な眼差し。「シャワーしてきれいにしている」らしい。本堂から御経が聞こえてきて、やっと我に返ったようだ。
「ブッダのバースデーパーティーおもしろかったね」
と帰りのケーブルカーの中で満足気に言う3歳児。
「あしたはミア(近所のお友達)のだね」
と続く。ミアとブッダは彼女をパーティーに招待してくれる仲のいいお友達。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。今シーズン最後のマウンテンレースに向けてトレーニング中。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2009-05-25T00:03:12+09:00
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第19回 沙漠の薔薇
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
沙漠に薔薇など咲くのだろうか? 泊まりで行くオフロードの旅で、初めて「沙漠の薔薇」なるもののことを聞いた時の私の反応。全く、無知以外の何ものでもなかった。無味乾燥したアラ...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
沙漠に薔薇など咲くのだろうか? 泊まりで行くオフロードの旅で、初めて「沙漠の薔薇」なるもののことを聞いた時の私の反応。全く、無知以外の何ものでもなかった。無味乾燥したアラビア半島の沙漠にも花は咲くが、この薔薇は砂沙漠(すなさばく)の水分が結晶して地中にできたもの。英語では、デザートローズ、またはサンドローズと呼ばれている、鉱物なのだ。成分は、硫酸カルシウムである石膏なのだそうだ。なぜ、沙漠の真ん中にそんな結晶ができるのか、誰も知る人はいない。一面の沙漠なのに、一体ぜんたい結晶するような水分がどこにあるというのだろうか。
そんなムツカシイ話は別として、とにかく宝探しのごとく、オフロード仲間はこぞって沙漠へ薔薇を掘りに行く。
東部沿岸へ行く道すがらに位置しているということもあり、私たちは幾度となく薔薇掘りに出かけた。何度出かけても、形や大きさの違う薔薇たちを見つけるのは、かなり楽しい。仲間うちでは、完璧に冬場のイベントとして定着している人気の場所だ。
しかし、沙漠に何の縁も魅力も感じない赴任者も、なぜかこの薔薇だけは別モノらしく、帰任直前、最後の最後になって「やっぱり薔薇、掘りに行きたい…」。そんな時は、決まって夏の真っ盛り。気温は軽く50度を超えてしまうのだ。熱中症覚悟で出かけるのは当然なのだが、翌日心臓発作で入院した人もいたっけ。沙漠へ行くのは、やっぱり命がけだね!
この薔薇、実は国外持ち出し厳禁で、せっかく見つけた大小様々なもの、全て前任地の家に置き去り。が、小さいのを1つだけ、そっと引越し荷物に混ぜてもらった。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。ようやく春にはなったものの、忘れた頃に寒さがぶり返し、タートルネックとモモヒキは相変わらずの必須アイテム。寒がりの私には衣替えが不要な、カナダの田舎暮らしだ。
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2009-05-25T00:00:10+09:00
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第18回 スーク
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
リヤドに暮らしていた頃、沙漠以外の楽しみの一つが、スーク(市場)散策。アラブの市場と聞くと、薄暗くて汚くて怪しい雰囲気で、なにやらごちゃごちゃといろんなものが並んで売られ...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
リヤドに暮らしていた頃、沙漠以外の楽しみの一つが、スーク(市場)散策。アラブの市場と聞くと、薄暗くて汚くて怪しい雰囲気で、なにやらごちゃごちゃといろんなものが並んで売られているカオスな空間……というイメージだろう。しかし、リヤド市内のスークはどこもこぎれいで、市場というよりは駅前商店街的。女性はひとりで出かけてはならぬというのがかの地の社会通念ではあるが、そんなことはお構いなしに、私はひとりで出かけていた。
取り立てて何かを買いに行くというわけではないのだが、ふらっと出かけるのにちょうど良い。朝から行っても、昼のサラー(礼拝)には閉まって、再び店が開くのは午後のサラーが終わってから。日没後から出かけたとしても、夜のサラーまで1時間半しかない。まるで礼拝時間の時間差攻撃みたいで、かなりややっこしい営業スケジュールだが、ちょこっと時間をつぶすのに最適な場所だ。たまに出没するムタワ(宗教警察)に右往左往されながら、それでもたまの掘り出し物や、一時帰国などのお土産探しに熱中してしまった。買わないけど必ず覗くカーペットの店、手芸材料になりそうな手刺繍のアップリケ、木彫りのラクダの置き物、シーシャパイプ(水タバコ)などなど。何を見ても飽きる事がない。まるで、おもちゃ箱のようなスークだ。
出張で来ている買い物嫌いの男性諸氏、無理矢理のように連れて行ったのに、家族や職場への手土産選びや、ガラクタみたいな骨董を見たり、遊牧民の生活用品セクションで話し込んだり、香木や香炉のコーナーなどなど、店が閉まるぎりぎりまで買い続けていたっけ。
したたかだと言われるアラブ商人の集合体でも、馴染みになればおまけも増える。あれこれと故郷の話も飛び出て面白い。
もう二度とサウジには来ないだろうと思っても、最後に出かけた日でさえ宝石屋のオヤジさんにも、土産物屋の兄ちゃんにも、とうとうさよならは言わず仕舞いで終わってしまった。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。元々は環太平洋地区が担当だった夫が、何の因果が中東に跳ばされ、私はアラブの魅力に取り憑かれてしまった。現在は、カナダ戻りで次の赴任に向けて充電中。仏語アラブ圏への転勤を目指して、フランス語の勉強に熱中している。
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2009-04-25T00:03:58+09:00
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第10回 ワーカーホリックとだるまと鏡
連載『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
「私はいったい誰?」
鏡を通してカメラに目線を送るモスカ。シャッターの音にあわせ首をかしげ、台詞を交え、表情を変える。まるで鏡に映る姿を確認しながら...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
「私はいったい誰?」
鏡を通してカメラに目線を送るモスカ。シャッターの音にあわせ首をかしげ、台詞を交え、表情を変える。まるで鏡に映る姿を確認しながら、自分を認識していく作業をしているよう。
パウリーニョ・モスカはブラジルを代表する音楽家の一人だ。THE BOOMの宮沢和史氏のアルバム、「アフロシック」にも参加、ペネロベ・クルス主演の「ウーマン・オン・トップ」のサウンドトラックにも曲をつくっている。
モスカの自宅を訪れたのは、ブラジルの雑誌の仕事中毒に関するインタビュー記事の撮影のためだった。別のジャーナリストによりインタビューは数日前に終了しており、私は写真を一枚撮るのみ。ところがモスカは快く私を招きいれた後、仕事中毒についての持論を展開。フロイトにトルストイまで参加し、日本で買ったという「だるま」にたどり着くまで、その間約3時間。一生懸命に、かつふざけながら話す哲学的な内容に、目をチカチカさせながらも惹き込まれてしまった。
それでも、もうそろそろと撮影の話をすると、きょとんとした顔で「インタビューじゃなかったの?」と。毎日たくさんのインタビューを受けており、インタビューはすでに済んでいることを忘れてしまったとか。
何枚か雑誌用にシャッターを押した後、モスカはお手洗いから鏡を担いできた。彼は写真を好み自身で撮影もするが、特に鏡を使用した写真を多く撮っている。議論は写真を撮りながらも続き、結局4時間近くも初対面の私を自宅で歓迎してくれたことになる。といっても必要だった雑誌用の写真を撮るのに要した時間は5分。なぜ仕事中毒についてのインタビュー対象に、音楽家であるモスカが選ばれたのか。帰宅後、そんなことを考えながら彼の創った音楽を聴いた。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジル在住8年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや6年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に楽しむ議論はタブーなし。討論好きのブラジル人に混じってスピーチ力、高めてます。ブログ、「VIVAカリオカ!」
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2009-04-25T00:03:45+09:00
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第4回 朝から元気な理由
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
「ほら、ちゃんと手をつないで」
「サンダル落とさないようにね」
子どもを連れて離島間を結ぶボートに乗る時は一苦労。渡り板がないため、波止場に横づけしているボートに飛び乗るこ...
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
「ほら、ちゃんと手をつないで」
「サンダル落とさないようにね」
子どもを連れて離島間を結ぶボートに乗る時は一苦労。渡り板がないため、波止場に横づけしているボートに飛び乗ることになる。母はハラハラだが、子どもたちにとってはスリルがあっておもしろいらしい。席に座って一息つき、壁に貼ってある帰りの時間を確認する。約1時間おきにしか出ないのんびりボートに乗り遅れては大変。たまに乗り遅れるとひたすら待つのだが、疲れた子どもたちの機嫌はどんどん悪くなっていく。
目的地に着くと、あのおじさんがいた。あのおじさんとは以前私が住んでいたところを通るバスの運転手さん。どうやら同じボートに乗っていたらしい。微笑みながら近づいてきて、何かを手渡してくれた。その時はそれが何だかわからず、ただ受け取り「サンキュー」とだけ言って会釈した。片言の英語を話すおじさんと片言の広東語しかわからない私たちの交わす言葉は限られている。よく見てみるとそれはボートの時刻表だった。
以前も同じように、あたたかい気持ちになったことがあった。それは私が妊娠している時のこと。運動のためにウォーキングしている最中に雨が降ってきた。転ばないようにゆっくりと地面を見ながら歩いていたらクラクションの音がした。顔をあげてみると、そこには小柄なおじさんが運転する大きなバスが、停留所でもないのに、道の真ん中に停まっていた。反対方向へ歩く私に、自分の傘を貸してくれようとしていたのだ。
毎朝、息子を幼稚園に送った後ジョギングするのが日課になっている。幼稚園を出る時間と、おじさんのバスがその前を通過する時間がよく重なる。運転席のおじさんの笑顔に、大きく手を振り、私の一日が始まる。今日もいいことがありそうな予感がする。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。現在は香港レディーズテニスリーグに参加し、どっぷりとテニスにつかった日々を過ごしている。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2009-04-25T00:01:56+09:00
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第4回 グアテマラのセマナ・サンタ(復活祭)
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラはセマナサンタ(復活祭)が終わったばかり。国教であるカトリックの最大行事で、国を挙げて祝われる。イエスキリストがエルサレムに入場...
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラはセマナサンタ(復活祭)が終わったばかり。国教であるカトリックの最大行事で、国を挙げて祝われる。イエスキリストがエルサレムに入場した日から、十字架にかけられ復活するまでの1週間が聖週間。学校はまるまる休み。公官庁も水曜日の午後から休みとなる。
この期間に行われる様々な催し物の中でも一番の目玉は、キリスト様、マリア様、聖人たちをのせて担ぐ御輿のようなプロセシオン。大きなものは10m以上あり100人以上で担ぐ。一歩進んでは一歩下がり、ゆっくりゆっくり進む。5、6時間かけて町を練り歩くのだが、大きな町だと15時間以上の行進となる。重いプロセシオンをずっと担いでいることは出来ないため、事前に決められている順番で交代しながら続けられる。それぞれの教会で、プロセシオンが出る日、時間、道順もことなる。人々はそれに合せて、数時間前からプロセシオンを待つ。
通る道にはアルフォンブラ(じゅうたん)が作られる。カラフルに色づけされたおがくず、花、果物、野菜などを利用し、何時間もかけて作られるアルフォンブラは目を見張る美しさだ。朝一番でプロセシオンが出る日には、夜通し作られる。この上をプロセシオンが通る。通過した後、残った花、果物、野菜などは、あっという間に周りで見ていた人の手の中に。毎年野菜だけでアルフォンブラを作る場所もあり、そこにはたくさんのお母さんたちが待ち構えている。
グアテマラの誇る世界遺産の町アンティグア・グアテマラには、多くの教会があり、豪華なアルフォンブラや見ごたえのあるプロセシオンなどが目白押しで、国内外の人々が押しかけ飽和状態となる。首都グアテマラ市の大聖堂から出るプロセシオンが最も貴重なものとされ、毎年数時間テレビの生放送がされる。お香で清め、楽団が奏でる音楽とともに、練り歩く壮大なプロセシオンは息をのむ素晴らしさだ。
それに対し地方のプロセシオンはこぢんまりしている。けれどなんともグアテマラらしい。担ぐ人たちが民族衣装なのだ。キリスト様を担ぐ男性、マリア様を担ぐ女性。それぞれが一番美しい衣装に身をつつみ参加しているのだから当たり前かもしれない。プロセシオンとともに行進する信者たちも民族衣装。私の住んでいるソロラでは、キリスト様までソロラの織物で作った服を着ていた。
行進が終わると家に戻り、セマナサンタだけに食べられる特別なパン、「パン・デ・レカード」と、チョコレートドリンクを味わう。パンはそれぞれの家でたくさん準備をし、セマナサンタが始まると、家族、友だちや近所の人へチョコレートドリンクを添えて贈る。
私もおすそ分けを頂いた。マヤの時代から飲まれているチョコレートドリンクとともに、パンの味比べをするのも楽しい時間だ。
さまざまな要素が取りいれられているグアテマラのセマナサンタ。ここにも、生きているグアテマラの伝統がある。
≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住10年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。仕事=旅は素敵な方々と出会うことのできる、私にとっての宝物。グアテマラの友だちから「光代は僕たちよりグアテマラを知ってるよね」とお褒めの言葉を頂いている・・・。HP
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『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑)』/白石みつよ
2009-04-25T00:00:04+09:00
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第17回 サモアで昼寝した父
連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
異国への移住決行という、突拍子もない知らせを聞いたとき、我々の両親は何を思っただろう。孫の顔を見るのが何より楽しみというおじいちゃん、おばあちゃんは、「顔で笑って心で...
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)
異国への移住決行という、突拍子もない知らせを聞いたとき、我々の両親は何を思っただろう。孫の顔を見るのが何より楽しみというおじいちゃん、おばあちゃんは、「顔で笑って心で泣いて」という心境だったにちがいない。
しかし、飛行機にさえ乗ってしまえば訪問できる。「和食以外は食べない」という義父だけは海外旅行が苦手だが、義母も私の両親も海外旅行大好きという、国際派の年寄りだ。子の決断を応援したい気持ちと心配でたまらない親心を抱えながら、我が家の生活ぶり、そして孫たちの様子を見るために、南太平洋のど真ん中まで、エッサコラサと来てくれた。
私の父は、「仕事こそ生きることの全て」というほどの仕事人間だったが、さすがにエメラルドグリーンの海と青い空、椰子の木がゆらゆらするばかりの景色以外は何もない簡素な国に上陸して、「ここで仕事のことを考えるなんて無駄な抵抗」とすっかり降参したようだ。
「こんな世界があったんだなぁ」としみじみ言った。
「働くことが生きること」とも言わんばかりの父流の価値観は、ハラハラと崩れ去ったことだろう。降参した後の父は何を思ったか、とつぜん南太平洋を臨む塀の上で昼寝をはじめたかと思うと、上着を脱ぎ捨て、シャツのボタンをはずし、サモアの魚市場や野菜市場を見て回った。ビーチで孫たちと一日のんびり過ごしたあと、ホテルのディナーショーでは、サモア流ファイアーダンスに歓声をあげた。
まったく異質の価値観に自らの身を置くことで、「南国暮らし」という我が家のチャレンジを多少なりとも理解してくれたのではないかと思う。南の島の滞在は満更でもなかったようで、以来父はよく「もう一度サモアに行きたいな」と言っていたものだが、その願いは叶うことなく、この2月14日に永眠した。
私の「サモアの想いで」の中に、父もいるひと時があって心から良かったと思う。
≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
両親の滞在中、イタリアから移民としてやって来ていた、隣人のアンジェロが急逝したため、父母は、見ず知らずのイタリア人画家のサモア流葬儀に参列というハプニングも体験 。また、私たちがサモアで知り合った友人たちからも手厚い歓待を受け、短い旅行ながらも、何か熱いものを感じてくれたと思う。父よあのときのように安らかに……。HP:ぼへみあん・ぐらふぃてぃ
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『サモアの想いで』/椰子ノ木やほい
2009-03-25T00:03:06+09:00
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第17回 沙漠の花見
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
アラビア半島でも内陸部にあるリヤドは、乾燥した沙漠性気候。市街地には緑が多いものの、少し郊外へ出るともう、土漠、岩漠、砂漠という世界。荒涼とした風景が広がっている。
リ...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
アラビア半島でも内陸部にあるリヤドは、乾燥した沙漠性気候。市街地には緑が多いものの、少し郊外へ出るともう、土漠、岩漠、砂漠という世界。荒涼とした風景が広がっている。
リヤドから北へ約150キロ。かつては、段々畑が造られていたと思われる、石積みの畦が残っている場所がある。初めて行った時はにわかに信じ難かったが、そこが花見の場所だ。かなり幅広なワーディ(枯れ川の野)で、ほぼ岩漠。本当に何かを収穫できるほどの水があったのだろうか? 地下水脈でもあるのだろうか? 草木が育つとは、とても思えない。それが、春先の数週間だけ、可憐なあやめ(アイリス)が辺り一面を埋め尽くすアイリスフィールドになる。冬の間に雨が多く降った年、そうでない年と、花を付ける年は概ね一年おき、交互にやって来るから不思議だ。
花見などは、日本人特有の春の行事だとばかり思っていたのだが、なんのなんの、欧米人も家族で野に出て、あやめを愛でながらのピクニックを楽しむ。
単身赴任しているマッチョなオフロードクラブ男性会員諸氏の「花?」という蔑んだような眼差しにも負けず、まるっと一日「花見とアンモナイトの化石探しツアー」なんていう男ゴコロをくすぐる旅を企画、実行してしまう私だった。化石欲しさについて来たはずの男たちが、いつの間にか花に夢中になるのには笑えた。地面近くに這いつくばって、大の男が真剣にあやめにカメラを向けているのだ。太陽が真上に近づくにつれ、だんだん膨らんでいった花の蕾が、昼過ぎ頃にパッと開く。この開花が、誰をも夢中にしてしまうらしい。毎日毎日、咲いては萎んでゆくあやめのはかない命。一斉に咲いている間の数時間の間だけ、あたりは淡い紫色の絨毯が敷かれたようになる。そんな日が2〜3週間続くと花の季節は終わり、リヤドに夏がやって来る。
沙漠のあやめ、さて今年は花のある年なのだろうかと、毎年この頃になると想うのだ。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。春は一体いつ来るのだと、飼い猫たちと首を長くして待ちわびているが、4月にならないと雪は消えてくれないようだ。この夏は、夫の転勤も夏期巡業も立ち消えになり、脱力している今日この頃。腹いせに、夫が赴任を断った本当の理由をブログ に綴り始めた。
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2009-03-25T00:01:47+09:00
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第3回 おばあさんが教えてくれること
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
我が家の裏にある船着き場から、今にも沈みそうなフェリーに乗船する。行先は隣の島、ペンチャウ(坪洲)島。目と鼻の先なので10分もあれば着いてしまう。しかし「どうかこの10分間、船が浮かんで...
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
我が家の裏にある船着き場から、今にも沈みそうなフェリーに乗船する。行先は隣の島、ペンチャウ(坪洲)島。目と鼻の先なので10分もあれば着いてしまう。しかし「どうかこの10分間、船が浮かんでいてくれますように」と毎回神様にお願いするほどスリルのある船旅なのである。
距離にすれば目の前だが、この船が結ぶ2つの島の間には60年くらいの時差がある。乗る時は2009年現在だが、降りるときは1949年にタイムスリップしている。あのオンボロ船は実はタイムマシーンだったのではと疑いたくなる。
19世紀後半には栄えた漁村だったらしいが、今では見渡す限りおじいさんとおばあさんしかいない老人島。人間だけでなく、建物や犬までもが老化している。埠頭前にある大きな木の下には、形や古さが様々の椅子が一列に置いてある。大型ゴミ置場にも見えるのだが、夕方ごろになると、そこにぞろぞろと人が集まってくる。そして自分と同じ歳くらいの置きっぱなしにしている「マイチェア」をみつけて座るのだ。
よく見ると、木のこちら側で集合しているのはおじいさんたち。おばあさんたちは反対側でおしゃべりをしている。おじいさんたちは散歩した距離の長さや釣った魚の数を自慢し、おばあさんたちは孫や夕飯の話をしているのだろうか。耳を傾けてみると、おじいさん側は比較的静かであまり会話はなさそうだ。笑い声のする方を振り返ったら、それは元気なおばあさんたち。圧倒されるほどのしっかりした口調で何かを言っているかと思えば、「アイヤー!(驚いたときに使う広東語)」と奇声を発したりしていて、とてもにぎやかである。なんだか楽しそう。
「女友達っていい」と再認識する瞬間である。何歳になっても、ああやって一緒に笑える女友達。この島から帰ると、必ずご無沙汰している女友達と会う約束をしている自分がいる。そして忙しくなりすぎると、またこの島へ戻ってきては思い出し、女友達との時間を作ろうとするのだ。
≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。香港の緑の美しさに目覚め、マウンテンレースやアドベンチャーレースに参加している。育児とトレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。
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『香港の離島から』/みゆきりん
2009-03-25T00:00:02+09:00
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第16回 祭りのころ
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
サウジアラビアには、年に一度だけ行われる「ジャナドリア」というお祭りがある。国を挙げての一大イベントで、毎年、冬もそろそろ終わりかな……という2月下旬に開催されるのだが、新聞...
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
サウジアラビアには、年に一度だけ行われる「ジャナドリア」というお祭りがある。国を挙げての一大イベントで、毎年、冬もそろそろ終わりかな……という2月下旬に開催されるのだが、新聞で日程が発表されるのを心待ちにしていた。
国内各地から、売る側と買う側両方の参加者がある。出店するのは、香水、焼き物、織物、染め物、鍛冶屋などなど。加えて、特産物やおやつなどの食品関連もあって、まるで日本の大学祭のようなノリ。素朴なアラビア半島の小規模手工業が集まって開催される、実に味わい深いお祭りなのだ。
こういった民族色の強い催しは、リヤドではなかなかないのが現情。まるで、伝統的な暮らしは時代遅れとでも思っているかのような、今の彼らの暮らしはアメリカ的だ。家屋をみても、エアコンより日干しレンガの方が身体に優しい涼しさなのでは? と思うのだが、時代の流れというより他にないのだろう。しかし、会場内には地方の特色を活かした家々を再現した、常設の建物が多い。南部山岳地方の塔の家、西海岸の家には目隠しと日よけを兼ねた飾り窓のマシュラビーヤ(レース状になった格子)が見事だ。
元々は、ラクダのレースから始まったと言われているお祭り。厳しい暑さがやって来る前にと、この時季が選ばれたのだろう。地方からリヤドへ旅するのだって、涼しい方が楽だ。男女隔離が徹底されている敬虔なイスラムの国ゆえ、会期中は男性が入場する日と、女性の日とがある。歌や踊りなど、演し物は違うのだが、主な出店者は同じまま。私たち女性が入れる日も、鍛冶屋の兄ちゃんは鞴(ふいご)の風出しに忙しく、サンダル屋のおじさんはじっと寡黙に座っていた。
一年に一度、彼らの伝統や習慣を思い返し、楽しむ大切な行事。私たち外国人も入場させてもらえたのは、とても幸運だったと思える。
≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。この夏の転勤話が浮上しているものの、確定させるための裏工作も根回しも、要領を得なくて挫折中。最新の電子本は、サウジアラビアの世界遺産を紹介した『マダインサーレ』。でじたる書房で発売中。
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『アラビア半島の印象』/郷らむなほみ
2009-03-10T00:03:57+09:00
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第9回 パンツのお姉さんがたくさんいる街
連載『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
山の間をうねる、道路沿いに現れる下着メーカーの大きな看板は、ノバ・フリブゴ市に近づいていることを知らせてくれる。赤、黒、ピンク、白。色とりどりの下着を身に...
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
山の間をうねる、道路沿いに現れる下着メーカーの大きな看板は、ノバ・フリブゴ市に近づいていることを知らせてくれる。赤、黒、ピンク、白。色とりどりの下着を身に着けたモデルが、悩ましげなポーズで目を誘う。街に近づくにつれ看板の量は多くなり、長距離バスターミナルに到着すると、まるで下着姿の美女達に到着を歓迎されているような気分になる。
ノバ・フリブゴ(nova friburgo)は、リオデジャネイロ市から車で約3時間の山間の小さな街だ。スイス、ドイツ移民が興した街で、おいしいチーズとソーセージの他に、避暑地としても知られている。そしてこの小さな街は「ブラジルの下着の街」の名をも持つ。多くの下着メーカーが工場を構え、街中いたるところにあるショップは大量購入割引制度を実施している。
そんなノバ・フリブゴを、5歳になる息子は「パンツのお姉さんがたくさんいる街」と呼ぶ。大量に立ち並ぶ看板は、いやでも誰の目にもとまるのだ。ビーチライフが中心のリオデジャネイロで小さなビキニに見慣れていても、下着姿のモデルを多く拝むことはそうない。民家の屋根、ビルの壁などに横たわる下着姿のセクシーなお姉さんとあってはなおさらだ。
この街にこのような看板があふれるのには、ブラジル人の基本的な身体に対する考え方があると思う。もちろんセクシーさを強調した広告は目を引くという広告戦略もあるだろう。しかし一方でそんなセクシーなモデルが、下着姿で街を飾るのをよしとするブラジル人気質が存在する。身体が健康的であることを常に追求し、自身の身体を愛し、身体を見ることに慣れているブラジル人。下着をまるで洋服のように「普通」に着こなしたモデルの看板は、とっても「普通」のこととしてとらえられているに違いない。
≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジル在住8年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや5年。わんぱくに成長したわが子に、読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に楽しむ議論はタブーなし。討論好きのブラジル人に混じってスピーチ力、高めてます。ブログ、「VIVAカリオカ!」
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『パパイア・マンゴー・リオデジャネイロ』高橋直子
2009-03-10T00:01:55+09:00
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第3回 グアテマラのトウモロコシ
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラの人は自分たちのことをオンブレ・デ・マイス=トウモロコシ人間と呼ぶ。マヤの聖典「ポポル・ウーフ」にも、人は神によりトウモロコシから...
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラの人は自分たちのことをオンブレ・デ・マイス=トウモロコシ人間と呼ぶ。マヤの聖典「ポポル・ウーフ」にも、人は神によりトウモロコシから創造されたとある。
グアテマラの主食はトウモロコシ。ゆでた粒を挽いた“マサ”と呼ばれる生地を、うすく伸ばし、おせんべいのように焼いたものがトルティーヤ。首都部では朝食をシリアルやパンにすることも多いが、農村部では三食トルティーヤを食べる。朝一番、ポジョと呼ばれるかまどに火を入れると、早速トルティーヤ作りに取りかかる。家々のえんとつからうっすらと煙が昇り、マサを伸ばすために両手をパンパンとたたく音で、グアテマラの1日が始まる。
焼きたてのトルティーヤは、塩をぱらぱらと振りかけるだけでも美味しい。トルティーヤと同じ生地をとうもろこしの葉に包み、ちまきのように蒸すタマリートも主食となる。タマリートの中にトマトソース煮のお肉を入れたチュチートスは、グアテマラ人の大好きなおやつ。その他にもとうもろこしの甘いパン、おかゆのような飲み物アトール、お祭りやイベントに欠かせないタマールなどバラエティーも豊か。またトウモロコシはマヤの神聖な4色、白、黄、黒、赤色を持つ。それぞれの色によりトルティーヤの色、味もことなり、毎食食べていても飽きることはない。
グアテマラの大地の2/3を占める山間部に広がるトウモロコシ畑。マヤの時代と同じように雨季の前に種を植え、乾季が始まると収穫。種まきと収穫の前には神々に豊作を願う。紀元前3500年の昔から数千年以上、グアテマラの人々はトウモロコシを育て共に生きてきた。これなくしてグアテマラを語ることはできない。まさしくトウモロコシはグアテマラの生命なのだ。
≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住10年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。仕事=旅は素敵な方々と出会うことのできる、私にとっての宝物。グアテマラの友だちから「光代は僕たちよりグアテマラを知ってるよね」とお褒めの言葉を頂いている・・・。ホームページ
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『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑)』/白石みつよ
2009-03-10T00:00:37+09:00
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