地球丸フォトエッセイ

「地球はとっても丸い」プロジェクトのメンバーがお届けする、世界各地からのフォトエッセイです。
掲載写真・文章の転載については、編集部までご相談下さい。
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第14回 走れ!ママ&キッズ
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
走れ!ママ&キッズ
 コンクリートジャングルのイメージが強い香港だが、実は面積70%以上は緑なのである。毎年11月ごろから5月ごろまでの、比較的湿度が低く過ごしやすい期間、離島をはじめ香港各地でマラソンやトライアスロン、そしてカヤックやアブセーリングなども含むアドベンチャーレースなどが開催される。

 5月の第2日曜日に開催されたレースは山をふたつ登り、ダムを泳ぎ、川の中やビーチを走るというアドベンチャーもの。ヘルメットを着用し、キャメルバッグ(水の入っているリュックサック)を背負う参加者の中には、多くのママたちの姿もある。早起きして自分の準備をした後、家族の朝食を用意してからスタートにかけつけた様子。ホッとしたのもつかの間、レース開始の笛が響く。ゴールで首を長くして待っているのはパパに連れられた子どもたち。誇らしげに手作りの「母の日」カードを手にしている。汗だくになってゴールする母親に飛びつき「ママが一番だよ!」とささやいていた。

 それから2週間後、同じ島で子どものトライアスロンが開催された。6歳から14歳の自転車を持ち、泳げる子どもたちに参加資格がある。8歳以下のカテゴリーは初出場の子どもが多く、親の方が緊張しているようだ。レース前には子どもと一緒に順序の確認をし、泳いだ後自転車に乗りやすいように靴をアレンジしたりと、落ち着きがない。ゴールでは右手にはカメラ、左手にはビデオを持った親たちがハラハラしながら子どもの帰りを待っている。初めての体験をした子どもたちの瞳は、ゴールで首にかけてもらった金メダルのように輝いていた。

≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。現在、香港に補習校を設立しようと奮闘中(オンライン署名)

第9回 グアテマラの生命
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラの生命
 中米に人類が住み始めたのは、紀元前11,000年頃にさかのぼる。諸説あるが、ベーリング海を渡ってきたモンゴロイド系の人という説が有力だ。

 もちろん、はじめは自然の恵みを採取することで人々は生きていた。家族が増え、組織だった社会が生まれてくる中で、食べ物の栽培もはじまる。

 グアテマラが位置する中米の主食はとうもろこし。農村部では1日三食。都市部でも一食は必ず食べる。とうもろこしの栽培が始まったのは紀元前3500年頃。人の親指ほどしかない「テオシント」と呼ばれるイネ科の植物が、原種といわれている。よい種を選び出し、栽培しながら改良されていく中で、現在この辺りで見られる品種となった。

 驚くべきは、現在も数千年前とほぼ同じプロセスでとうもろこしが育てられていることだ。雨が降る前に鍬で大地を耕し、畝を作る。棒で開けた深さ5cmほどの穴に、5粒のとうもろこしと3粒のインゲン豆の種をまく。インゲン豆は、フリホーレスと呼ばれる副食でとうもろこしと同様大切な食べ物である。

 雨季になり雨が大地に降り始めると、芽が出る。まっすぐ茎を伸ばしていくとうもろこし、その茎にからまるように育っていくインゲン豆。主食であるとうもろこしと副食のインゲン豆が一緒に育っていくのだ。栄養学的にも補い合っていることが科学分析の結果分かっている。

 人の知恵はなんと偉大だろう。そしてそれを守り続け、気が遠くなるほどの時間同じ方法で育て続けている、グアテマラの人々も偉大だ。

 マヤの世界には方角に色がある。太陽が出る東は赤、沈む西は黒。風が吹いてくる北が白。南は黄色でとうもろこしがシンボル。そして命が生まれ育つ場所と考えられている。

 5月末、この地を襲った台風アガサにより、深刻な被害を受けたとうもろこし栽培。グアテマラ民話にあるように、双葉の息子の助けを受けて、蔓の女王がとうもろこしを育ててくれることを祈りたい。


≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住10年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。仕事=旅は素敵な方々と出会うことのできる、私にとっての宝物。グアテマラの友だちから「光代は僕たちよりグアテマラを知ってるよね」とお褒めの言葉を頂いている・・・。HP:ソロラ
第4回 サーフィンのメッカ、ノースショアー
連載『虹の州ハワイより』
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国)
サーフィンのメッカ、ノースショア
 ホノルル•ワイキキより車で40分から50分走ると、世界中のサーファー、プロサーファーが集まるノースショアーに到着する。方角はオアフ島の北部にあたる。

 夏のノースショアーは、ほとんど波がなく穏やかな海であるが、秋からは、それが一変し、怖い海になる。もちろん波も高い。15フィートから20 フィート(5〜6メートル)にもなる日がある。でもそれだけでなく、波が沖へ引っ張る力も、それは強いものであるとサーファーからも聞く。あまり知らない観光客や、慣れないサーファーは溺れかけてしまうほどだ。ノースショアーは、見るからに強い海へとその形相を変える。

 ノースショアーには、いくつものブレイク•スポット、サーフィン•スポットがあり、「7マイルミラクル」と呼ばれる道がある。それは、1本道に次々と夢のビーチが続く、サーファーたちにとってあこがれの場所でもある。ノースショアーのビーチに行く前にあるハレイワという町から始まり、代表的なものでは、ラニアケアビーチ、チャンズリーフ、レフトオーバー、ワイメアベイ、シェークスコーブ、パイプライン、サンセットビーチと続く。パイプラインはご存知プロサーファーたちが、コンテストを行う場所。 週末ともなると、その波の様子と、サーファーたちの様子を車越しからでも見たい観光客で、のろのろ運転になってしまう!

 サーファーなら、天国のような場所ノースショアーであるが、ホノルルやワイキキとは全然違う素朴な町に住むここの住民にとって、波のよい日ごとにこのような渋滞が続くのでは、迷惑な話かもしれない。


≪堀内章子(ほりうちしょうこ)/プロフィール≫
フリーランスライターは98年の長女の出産を機に。以後シンガポール、サンフランシスコと主人の駐在で移動を重ね、2001年東京に。その後独立し海外企画を専門とする編集業務会社を設立。07年からは家族4人でハワイに移り、ライター、編集、そして今年よりハワイの親子留学代行業務も開始。




第15回 青色のコカ・コーラ
連載『パパイヤ・マンゴー・ブラジル』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
青色のコカ・コーラ
 物事を変化しないものと決めつけ、既存するイメージを絶対的なものとしてしまうのは悪いくせである。コカ・コーラのロゴマークは赤と白の2色の他、ブラックバックや透明であっても、ブルーであったことは無いはずだ。しかしアマゾン州、パレンチンス市には、世界で唯一青色のコカ・コーラが存在する。

 パレンチンス市はアマゾン川流域にある人口7万人程度の島で、毎年6月の終わりに行われる「ボイ・ブンバ祭り」で有名だ。「ボイ・ブンバ」とは雄牛の死と再生の民話を、歌や踊りで興じる伝統芸能。パレンチンス市では、赤チームの「ガランチード」と青チームの「カプリショーゾ」が3夜、パフォーマンスを繰り広げ優劣を競い合う。

 そして季節に関係なく、街は2つのチームに二分されている。中心部にある教会の西側が青組、東側が赤組。家々はそれぞれのチームの旗を掲げ、壁をチームの色で塗りつぶす。ライバルであるチームを名前では呼ばず、「反対側」と呼ぶぐらい対抗意識が強い。街はずれにある空港は、赤青どちらにも属さないため銀行、公衆電話など全てが赤と青の両方を強調することで中立を保っている。

 そして祭りのスポンサーであるコカ・コーラに対しては、青組の地域で看板が撤去されたり、不買運動が行われた結果、コカ・コーラ社がロゴマークを青色にすることで決着。今では看板は青で、祭りの時期になると青い缶も販売されているのだ。雄牛に熱狂する、ブラジル人パワーを垣間見た気がした。

≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジ ル在住10年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや7年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に夜の街に出没し、サンバのステップに足を絡ませる日々を過ごす。ブラジルをあそぶブログ



第6回:小籠包・シャオロンパオ −台湾− 
載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
小籠包・シャオロンパオ 
 おいしいものが町じゅうにあふれる美食天国、台湾。訪れるたび、食べたいものの種類が、食べられる量のキャパをはるかに超えることを悔しく思う。たっぷり食べたらホテルに帰って、着脱式の予備の胃袋と付け替えられたらどんなにいいだろう……とありえない妄想が頭の中を駆け巡るくらい。

その台湾で、絶対に食べたい庶民派グルメの代表格といえば、小籠包。台北には、かのニューヨーク・タイムズ誌で世界の10大レストランにも選ばれたことのある名店があり、連日大行列の盛況ぶり。今回も、うっかり昼前頃に店の前に到着したら、どの順に案内されるのかわからないほどの人々が歩道にあふれかえっていて、諦めて翌日のおやつタイムに出直した。

 さて、その小籠包、ご存知とは思うが説明しておこう。簡単に言えば、小麦粉で作った皮でひき肉のタネを包んで蒸したものだ。ただし、饅頭ではないので皮はあくまで薄く、中の具が透けて見えるほど。そして、中には肉だけでなく、たっぷりのスープが入っているのが特徴だ。どうやってスープを皮に包むのかというと、鶏ガラスープとひき肉を合わせて冷やし、鶏ガラから出たゼラチン質が煮こごりになって固まるのを利用するのである。それを包んでから蒸すと、皮の中でスープに戻るというワザだ。

 このスープがおいしいことこの上ないのだが、当然のことながら、アツアツ! いくらおいしそうだから、そしてひと口大だからといっても、パクっといくとヤケドすることになる。おまけに私は猫舌ぎみ。でも、熱くておいしいうちに食べたい……。

 そんな私のジレンマを解決すべく、現地の人が教えてくれた食べ方がある。レンゲに小籠包と黒酢と針生姜を乗せたら、皮の一部を箸で小さく破く。すると美味しいスープがレンゲにジュワッあふれ、黒酢と混ざる。これをフーフーして、ヤケドしないくらいになったところでスープをこぼさないように一気にレンゲの上のモノ全部を口に入れる。これでバッチリ! おかげでどんどん食べられてしまうのが難点だが。

 これほど台湾グルメの象徴でありながら、実はこの小籠包、台湾料理ではない。実は、上海郊外の南翔という町で生まれたもの。上海きっての観光名所、豫園にある「南翔饅頭店」には、本場の味を求める世界各地の人が行列をなしている。日本人にはおなじみの「ショーロンポー」という読みも、「上海語」と呼ばれる上海地方の方言だ。

 しかし、台湾における小籠包は、いまやすっかり地元の味として定着。広く庶民に愛されている。そして私は、台湾でも上海でも、それぞれにおいしい小籠包を味わえるシアワセに感謝しつつ、追加のセイロを注文するのである。


≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。「食」についてはまだまだ興味の尽きないアジアだが、もっといろんな味に出会いたい……ということで、当面の目標はアジア脱出!
第13回 離島に住む子どもたち
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・ランタオ島)
離島に住む子どもたち
 土曜日の朝8時、香港島行きのフェリーは子どもたちで賑わっている。平日は島にあるインターナショナルスクールに通っている子どもたちが、土曜日はママ、あるいはパパの国の言葉の学校(補習校)に通うからである。

 香港には父親と母親の国籍が異なり、香港で生まれ育っているTCK(Third Culture Kids)とよばれる子どもたちが多く存在する。彼らは3つの言語と文化や習慣の中で育つので、言語習得問題以外にも自分は何者なのかというアイデンティティー問題にも直面する。緑に囲まれ、のんびりした時間が流れる香港らしくない離島の住民は欧米人率が高く、ミックスの子どもたちも多い。娘の幼稚園では、まずはじめに習うことは「who am I?」自分についてである。お父さんとお母さんはどこの国の出身で、自分はどこで生まれたのか。20人いる生徒の両親の出身地は12カ国。みんな違うから一人ひとりが特別なのだ、と園児たちは納得する。

 離島には英語で授業が行われるインターナショナルスクールと広東語の公立小学校がある。中学や高校はないため、離島在住のティーンエイジャーは毎朝7時のフェリーで香港島の学校へ通学。幼稚園児や小学生の年齢でも親が送り迎えをして、フレンチやジャーマン、日本人学校などへ通っている子どもたちもいる。片道1時間以上かけて毎日通うのは、親も子も相当の覚悟が必要である。

「どようびはバスとフェリーとタクシーにのって、にほんごようちえんだね」
と年中の娘は、週末の小旅行を楽しみにしている。

≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。キッズトライアスロンデビューする6歳児と毎日トレーニング中。


第25回 旅の重さ
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
「旅の重さ」
 アラビア半島北部の沙漠、ナフドを横断したイギリス人女性レディーアン・ブラント。南部の沙漠、ルブアルハーリを縦断・横断したのは、フィルビー、トーマス、セシガーら。今では世界的に有名な人々も、当時はきっと任務で移動していただけなのかもしれない。

 沙漠を旅していると、故人の軌跡に触れることがある。全く何の予備知識もないまま、誘われるままに深入りしてしまった沙漠のオフロード。セシガーがここを通った、レディーアンがこの部屋に泊まった云々、教えられても誰のことだか分からなかった。

 究極のアウトドア体験は、楽しいとは言い難いことばかり。しかし、旅仲間のほとんどがイギリス人で、さすがに彼らは不便なことに慣れているうえ、粗食にも耐えるのだから、私は口をつぐむしかない。温厚で博識な彼らから、学ぶことは多かった。いつも危険と隣合わせの旅は、どこか世捨て人のような気分になったものだ。思えば、中年症候群夫婦の自分探しの旅だったのかもしれない。

 キツネやサソリやネズミなど、沙漠の動物たちに出会ったり、可憐な花を付けた名も知らぬ植物を見つけたり、また、どこまでも続く無人で無音の世界を堪能でき、素晴らしい沙漠体験をさせてもらった。オマーンもカタールもバーレーンも、アラブの魅力に溢れていた。

 映画『アラビアのロレンス』の舞台となった場所、その他数々の名所旧跡を訪ね、何もかもが私にとっては珍しいことばかり。遊牧民の人々に温かいもてなしを受けたのも、一度や二度ではない。強い陽射しが照りつける海岸は、泳ぐ人もなく、静かで美しい。遥か遠くで、空と海が繋がっているかのようだった。私たちの旅を構成していた一つひとつに、心から感謝したい。

 私たち夫婦のアラビア生活は終わってしまったが、旅の記憶はいつまでも消えることがないだろう。

* 長らく連載させて頂いたフォトエッセイ「アラビア半島の印象」は、今回で終わります。ありがとうございました。

≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。カナダへ越して来てそろそろ3年が過ぎようとしている。数年で居住テントを移動するアラビア半島の遊牧民のごとく、またどこかへ赴任したい病、砂欠乏症ほか、発症中。
第3回 紺碧の海とハイキング
連載『虹の州ハワイより』
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国
紺碧の海
 ハワイに住んでもうじき3年。車で10分とかからない所に初心者にぴったりのハイキングコースがあることを知りつつ、どうも暑さに苦手な私は挑戦しないでおりました…

 先月やっと息子のボーイスカウトの活動として家族で、ハイキングをすることが決定。その場所が、そう!この場所、マカプウハイキングでした。

 朝8時に集合。坂道を歩くことに慣れていない私は最初の10分は息切れ状態。運動不足を実感。最近すっかり歩くことしていないからなぁ〜。でも人間って不思議です。しばらく歩いているとその息切れもなくなり、足も幾分軽くなって坂道もさほどきつくなくなっていました。(よかったぁ、まだまだ年寄りではなかった)

 ハイキングコースとしては初心者クラス。頂上までは約1時間で登ることができます。

 途中何カ所か、アウトルックスポットがあり、ハワイの冬である12月から3月初旬であれば、くじらが優々と泳ぐ姿を目撃することもあると聞く。今回は残念ながら見つけることができなかったけれど、真下に見える海の紺碧さに感激しました。エメラルドグリーンの海も素敵ですが、この深い青い海の色、引き込まれてしまいそうな、そんな色です。写真に小さく写っているのは、人気テレビドラマ「LOST」の撮影でも使われた灯台です。

 その先に進むといよいよ頂上。ここから見える景色はなかなか。オアフ島の北東部のカイルア地域まで見ることができます。

 帰りは楽です。30分もしないでスタスタと戻ってくることができました。日差しが強いホノルル。早朝の出発が必須です。下山したら10時近く。既に太陽がサンサンと照らし続け、またまた日焼けしてしまいました。


≪堀内章子(ほりうちしょうこ)/プロフィール≫
フリーランスライターは98年の長女の出産を機に。以後シンガポール、サンフランシスコと主人の駐在で移動を重ね、2001年東京に。その後独立し海外企画を専門とする編集業務会社を設立。07年からは家族4人でハワイに移り、ライター、編集、そして今年よりハワイの親子留学代行業務も開始。
第8回 グアテマラの風呂敷
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラの風呂敷
 グアテマラは織物の国。女性の民族衣装であるウィピル(上着)、コルテ(巻きスカート)、それを留める帯も織物。男性のジャケット、ズボンも織物。家で使われる小物も、様々なスタイルの織物が使われている。その中で、最も愛用されているのが「スーテ」とよばれる万能布。ミル・ウソ・デ・スーテ(1000通りの使い方があるスーテ)と言われるほど、使い回しが利く布なのだ。

 物を包み運ぶのはもちろんのこと、市場では、買ったものをその都度包み、肩にかけたり頭に載せて運ぶ。ぱっと広げれば、腰を降ろすための敷物になる。暑いときには、四つ折りにし頭へ乗せ日よけに。ショールのように体を覆い寒さも防ぐ。長細く折りたたみ肩にかけるのは、外出時の身だしなみ。家の中でも、いろいろな使われ方がされている。おばあちゃんのひざ掛け、窓辺に掛けカーテン、お客様が来たときには、テーブルクロスにも早変わりする。

「スーテ」より大きい布が「ペラッヘ」。この布にはちがう使い道がある。
村の公園や市場をはじめいたるところで、背中に何かをしょっている女性を見かける。一升餅を担ぐ子どもの姿になんとなく似ているのだが、その包みを触って、驚く。野菜や果物なのかと思いきや、「ペラッヘ」に包まれ、背負われているのは、なんと赤ちゃんなのだ。

 人の背丈ほどある布を三角形に折り、背中に乗せた赤ちゃんを布ですっぽりとくるむように背負う。お乳をあげるときや、むずかってあやすときは、半回転させ前に持ってくる。すると、ちょうど赤ちゃんの顔がお母さんと向かい会うのだ。赤ちゃんが安心して眠りはじめると、また背中へ回す。なんともうまくできている。母親だけではなく、子守をするお姉ちゃんたちも同じように背負い、あやしながら過ごす。

 風や太陽を防ぐためにかけられている布の端を上げると、そこには、あったかい背中で眠る赤ちゃんのすこやかな寝顔。父親の働く背中を見る前に、子どもたちは女性の背中で大きくなる。

≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住11年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。仕事=旅は素敵な方々と出会うことのできる、私にとっての宝物。グアテマラの友だちから「光代は僕たちよりグアテマラを知ってるね」とお褒めの言葉を頂いている……。HP 


第12回 香港セブンスはお祭りラグビー
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・香港島)
香港セブンスはお祭りラグビー
 毎年3月に入ると、「セブンス行くの?」という会話が季節の挨拶のようにあちこちで飛び交う。これは1976年に始まった、毎年3月に開催される香港セブンスのラグビー観戦のことである。セブンスは7人制で7分間ハーフ、合計14分間の試合時間なので、お馴染みのラグビーに比べるとかなりスピーディーなもの。

 現在8カ国で開催されている国際大会なので、ニュージーランドやイギリスなどの最強チームから、中国や韓国などラグビー歴の浅いチームまで参加。日本チームも出場している。

 ラグビーファンはもちろんのこと、ラグビーのルールさえ知らないお祭り好きが集まるのは、4万人収容できる香港スタジアムの南側にある、サウススタンドという観戦席。早い者勝ちの自由席なので、朝早くから駆け付け、ビールの一気飲みをしたりするものだから、サウススタンドの観客は昼前には酔っ払いの集団になっている。

しかもこの人たち、かなりユニークな格好をしている。スーパーマン、バットマン、スパイダーマンのスーパーヒーロー系からパンダやバナナなどの着ぐるみを被ったおじさんたち。キャットウーマンやナースなど、露出度の高いピチピチの衣装をつけるおねえさんたち。この時とばかりに網タイツをはき、女装を楽しんでいるおじさま軍団など。1リットルビールのコップを片手に歌ったり、踊ったりと誰もラグビーなんて観ていない様子。

 日本チームのサポーターは、ミス・ユニバース風のミニ着物を着用。なんせアラフォーの集団だから、怖いもの見たさで近づいてくる見物人多数。それをシャットアウトし、ガンバレ! ニッポンの応援に励んだのだが、残念なことに早い時点で負けてしまった。

優勝チームはサモア。香港セブンスは終わったものの、ラガーのみなさんは、お次はロンドンとセブンスラグビーはまだまだ続く。そして、香港在住のお祭り好きは来年の衣装を再び考え始めるのだ。


≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。香港で働いている出稼ぎ女性11人にインタビューした「異国から届ける愛」をでじたる書房より出版


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