地球丸フォトエッセイ

「地球はとっても丸い」プロジェクトのメンバーがお届けする、世界各地からのフォトエッセイです。
掲載写真・文章の転載については、編集部までご相談下さい。
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第11回 プロポーズはゴールするまで待って
連載『香港の離島から』
文・写真:みゆきりん(香港・香港島)
プロポーズはゴールするまで待って
 毎年ポピュラー度がアップしている香港マラソンは今年で14回目。初めて開催された1997年には中国返還を記念して、1000人のランナーが国境を走って超えた。その後ランニングコースが何度か変わり、今年は5万2千人の参加者のうち、フルとハーフマラソンのランナーは九龍でスタート。それから橋を渡り、海底トンネルをぬけて、香港島の繁華街にあるヴィクトリア公園でゴールした。

 マラソン開催日は毎年2月の旧正月明け。今年はちょうど旧正月が明けてから15日目にあたる、中国のバレンタインデーといわれている元宵節と重なったため、汗臭いだけでなくロマンチックなイベントとなった。

 日中の気温が24度、湿度が90%という、この時期にしては異例の暑さの中、スーツ姿で走っている男性の参加者がいた。しかも片手にバラの花束を抱えている。この彼、42キロを無事走り終え、ゴールのラインを踏んだ後、彼女が待っているところに直行した。そして片膝をつき、プロポーズ。もう一組のカップルは、走っている彼女をひたすらゴール地点で待っていた彼が、彼女がゴールすると同時にプロポーズ。驚いた彼女たちの答えは二人とも「イエス!」

 結婚生活とはおそらく長距離マラソンのようなもの。平な道もあれば、坂道もある。空気の悪いトンネルを通ることもあれば、橋を渡ることだってある。でも肝心なのはいつも自分のペースをしっかり保って、前進すること。どうぞ末永くお幸せに!

≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。


第7回 グアテマラ・マリンバ
連載:『ソンリサ・デ・グアテマラア(グアテマラの微笑み)』
文・写真:白石みつよ(ソロラ・グアテマラ在住)
グアテマラ・マリンバ
 マリンバはグアテマラの象徴の1つにもされている、この国になくてはならない楽器だ。木琴に似た打楽器で、木片の下に共鳴管がついている。スペイン植民地時代の16世紀初頭こちらに渡った黒人の人々により持ち込まれたアイデアが、この地域で発展し生まれたといわれている。

 昔ながらのテコマテマリンバは、木片の下にひょうたんがついている。音階ごとに大きさの違うひょうたんが並び、先端部に開けられた数ミリの穴を、豚の薄い腸でふさいでいる。そのため木片を叩くと、ひょうたんに振動が伝わり、膜が振動するので、びんびんとなんとも不思議な音が出る。

 最初は、鍵盤部分の木片にアーチ型のもち手を付け、肩からぶら下げて叩いていたというが、両端を人が持つようになり、脚がつき、共鳴管もひょうたんから木製に変わっていく。

 マリンバ製作者たちがこの楽器のための音楽も創り始め、グアテマラ全土に郷土音楽として根付いていく。19世紀、アメリカの楽器展に出品されたのがきっかけとなり、日の目を見るようになり現在に至る。

 世界のマリンバは独奏が多いが、グアテマラの場合はちょっとちがう。1台のマリンバに3~5人が並び、各自がことなる音域を、左右それぞれの手にマレット(撥)を2本ずつ持ち、オリジナルパートを奏でるのだ。1台でバラエティー豊かな音楽表現ができ、伝統音楽はもちろん、ジャズ、ワルツ、ブルース、交響曲までアレンジして弾くことができる。ギターやドラムなどと奏でるマリンバオーケストラも人気だ。

 グアテマラに欠かすことのできないマリンバ。町には必ずお抱えのマリンバ隊がおり、お祭り、結婚式、誕生日、卒業式などのイベントには必ずマリンバの音色が響いてくる。すると自然にリズムをとりメロディーを口ずみはじめてしまうグアテマラの人たち。曲にあわせ、ゆったりと、幸せそうに踊る熟年カップルを見ていると、こちらまであたたかな気持ちになる。そして、ふと気がつくと一緒にリズムをとっている自分がいる。いつの間にか、私の中にもマリンバの音がしっかりとしみこんでしまったようだ。

≪白石みつよ/プロフィール≫
中米の国グアテマラ在住11 年目。政府公認観光ガイド、コーディネーター、グアテマラ・中米を伝えるライターとして活動。ソロラの子どもたちの就学支援をする「青い空の会」代表。女の子たちと作るグアグアタールヘタ活動にいそしむ毎日。ホームページ
第10回 旧正月は赤いおパンツ
連載『香港の離島から』
文・写真 みゆきりん(香港・ランタオ島)
旧正月は赤いおパンツ
 毎年旧正月の時期になると、香港の街中は真っ赤になる。赤い提灯、赤いライシ(お年玉袋)をはじめ、縁起のいい四字熟語が書かれた揮春(ファイチュン)などとにかく縁起のいい「赤」で家も店も飾り付け。最もポピュラーなのは「恭喜發財(コンヘイファッチョイ)」である。これは感覚的には日本の新年のあいさつに似ているが、意味は財産に恵まれておめでとう、すなわち「お金持ちになれますように」。お金が大好きな香港人のあいさつ、在住16年の今なら納得できる。香港に来てすぐは「なんだかねえ」と冷たい感じがしたが、なんせお金の話なんて天気の話のようなもの。ちょっと洒落た服を着ていたら「それどこで買ったの? いくら?」と聞かれる。家に招待したら「ここは借家? それとも買ったの? いくらだった?」。悪気はない。おそらく大阪人の「もうかりまっか」と同じノリである。

 今年はさらにパワーアップして、赤だけでなくピンクも多い。恋愛運や人間関係をよくする桃花(トウファ)が例年に比べいろんなところで存在をアピールし、ショッピングモールを華やかにしている。カレンダーをよく見ると、2010年の旧正月の初日はバレンタインデーと重なる。なるほど”East is West, Love is Luck”という一瞬意味不可解なこの某モールの宣伝文句もわからないわけではない。

 旧正月の初日には新しい服を着る習慣がある香港人。特にズボンやパンツは発音が「福」と同じフッであることから、新しいのをはくと福を招くそうだ。

 今年の2月14日はLove とLuckを求め、香港人女性は新しい赤いおパンツを身につけるのだろうか。


≪みゆきりん/プロフィール≫
香港在住16年。以前は香港島に住みシングルライフを謳歌していたが、結婚を機に離島に移り住む。育児とマラソントレーニングのかたわらフリーランスでライター、通訳・翻訳をしている。月末の香港マラソンに向けてトレーニング中。



第5回 湯圓・タンユェン −中国−
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
湯圓・タンユェン −中国−
 日本では、ニュースなどで「暦の上では今日が……」というセリフを耳にするのみだが、中国をはじめとしたアジア諸国では、年中行事は今もなおこの旧暦(陰暦、農暦などともいう)に基づいて行われる。中でも最も重要な行事のひとつ、一年の始まりである正月も、もちろん旧暦ベース。つまり、世界標準でいうところのカレンダー上では、毎年正月の日が異なるということになる。

 今年の旧暦の正月は、去る2月14日だった。家族で過ごす大切な日である正月とバレンタインデーが重なって、中国の若ものの悩みのタネだ、などというウワサもちらほら。ともあれ、やっぱり多くの人々が家族とともに、春節と呼ばれる中国のお正月を迎えるようだ。そしてこの春節はなんと2週間たっぷりある。

 その春節の最後の日にあたるのが、元宵節。陰暦ベースなので、もちろんよりどころは月。元宵節は新月である元旦から数えて15日目なので年の最初の満月にあたる。その満月の夜に、家族揃って家庭円満を願っていただくのが、丸いお団子を食べるというのが昔からの習わしだ。

そのお団子が、湯圓(タンユェン=中国語の標準語である普通語)と呼ばれる、白玉のようなお団子。小豆やゴマ、ピーナッツなど、いろいろな餡が入った大きめのもので、ほんのり甘いシロップというか、スープに入っている。

 この湯圓はおもに南方のもので、広東語ではトーンユンと読み、同じ読みで湯丸と書くこともあるようだ。こちらは、生地をつくって餡を包むという作り方。北方では餡のまわりに粉をまぶすという作り方で、湯圓ではなく元宵と呼ばれる。

 北京の友達からもらった「もうすぐお団子を食べて、お正月は終わり」というメールはこの元宵のこと、「毎年、いろんな種類が出るのが楽しみ。今年は低糖、キシリトール入りにしてみようかな」という上海の友人からのメールは湯圓のこと、なのかな。

 横浜の中華街に行けば、出来上がった冷凍の湯圓が買えるけれど、私は東京で、こし餡に練りゴマを混ぜたものを白玉粉で作った生地で包んで作ってみた。元宵節より一足お先にお味見。うん、お手軽に作ったわりにはなかなか。お汁粉よりもさっぱりして、たくさん食べられるのもうれしい。

 今年も世界が円満ないい年になりますように!

≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。今年の日本のお正月はどっぷり仕事だったので、お正月気分は旧正月で味わうことに。さて、新しい年は、どこで、どんな、おいしいものに出会えるかな?
第5回 湯圓・タンユェン −中国−
連載『旅する胃袋』
文・写真:長晃枝(日本・東京)
湯圓・タンユェン −中国−
 日本では、ニュースなどで「暦の上では今日が……」というセリフを耳にするのみだが、中国をはじめとしたアジア諸国では、年中行事は今もなおこの旧暦(陰暦、農暦などともいう)に基づいて行われる。中でも最も重要な行事のひとつ、一年の始まりである正月も、もちろん旧暦ベース。つまり、世界標準でいうところのカレンダー上では、毎年正月の日が異なるということになる。

 今年の旧暦の正月は、去る2月14日だった。家族で過ごす大切な日である正月とバレンタインデーが重なって、中国の若ものの悩みのタネだ、などというウワサもちらほら。ともあれ、やっぱり多くの人々が家族とともに、春節と呼ばれる中国のお正月を迎えるようだ。そしてこの春節はなんと2週間たっぷりある。

 その春節の最後の日にあたるのが、元宵節。陰暦ベースなので、もちろんよりどころは月。元宵節は新月である元旦から数えて15日目なので年の最初の満月にあたる。その満月の夜に、家族揃って家庭円満を願っていただくのが、丸いお団子を食べるというのが昔からの習わしだ。

そのお団子が、湯圓(タンユェン=中国語の標準語である普通語)と呼ばれる、白玉のようなお団子。小豆やゴマ、ピーナッツなど、いろいろな餡が入った大きめのもので、ほんのり甘いシロップというか、スープに入っている。

 この湯圓はおもに南方のもので、広東語ではトーンユンと読み、同じ読みで湯丸と書くこともあるようだ。こちらは、生地をつくって餡を包むという作り方。北方では餡のまわりに粉をまぶすという作り方で、湯圓ではなく元宵と呼ばれる。

 北京の友達からもらった「もうすぐお団子を食べて、お正月は終わり」というメールはこの元宵のこと、「毎年、いろんな種類が出るのが楽しみ。今年は低糖、キシリトール入りにしてみようかな」という上海の友人からのメールは湯圓のこと、なのかな。

 横浜の中華街に行けば、出来上がった冷凍の湯圓が買えるけれど、私は東京で、こし餡に練りゴマを混ぜたものを白玉粉で作った生地で包んで作ってみた。元宵節より一足お先にお味見。うん、お手軽に作ったわりにはなかなか。お汁粉よりもさっぱりして、たくさん食べられるのもうれしい。

 今年も世界が円満ないい年になりますように!

≪長晃枝(ちょうあきえ)/プロフィール≫
東京在住。アジアを中心に、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。今年の日本のお正月はどっぷり仕事だったので、お正月気分は旧正月で味わうことに。さて、新しい年は、どこで、どんな、おいしいものに出会えるかな?
第2回 青空なのに雨
連載『虹の州ハワイより』
文・写真:堀内章子(ホノルル・アメリカ合衆国)
青空なのに雨 虹の州ハワイ
 ハワイは“レインボーステート”虹の州と言われるほど、虹をよく見かける。ダブルレインボーと言って、二重に虹のかかる場面にも何度となく遭遇した。ハワイは不思議なところで、青空が出ているのに、雨が降ることもよくある。アメリカ本土からやってきた人もこれが非常に不思議なことに思うようで、よく私に話してくれる。確かに、スコールのようにパサパサと降って止む。もちろん黒い雲がモクモクと上空にやってくると、どしゃぶり雨の前兆だ。 

 最近はどんな雨があとどれくらいでやってくるか、少しは予測が立つようになってきた。日本の天気予報はかなり正確で、午後3時ごろから雨というと、本当に雨になる。3時間毎の天気予報もすごいものだ。しかしハワイの気象情報はそんなに細かくないし、大方いつも変わりばえしない。温度も天気も1週間予報が出てくるが大方同じ。そんな訳で、自然と人間本来の“本能”的なもので天気を察知するようになってきている。

 この前、車を運転したら、晴れなのに、雨、そしてなんとその向こうに虹という光景をみかけ、思わずシャッターを切った。車の中からなので質はそれほどよくないが、この不思議な天気をみなさまにもお届けしたいと思う。

≪堀内章子(ほりうちしょうこ)/プロフィール≫
フリーランスライターは98年の長女の出産を機に。以後シンガポール、サンフランシスコと主人の駐在で移動を重ね、2001年東京に。その後独立し、ライ ター、編集、そして07年からは家族4人でハワイに移り、対日本マーケティングのコンサルタントと3足のわらじ状態に。
第24回 オマーンという宝石箱
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
オマーンという宝石箱
 訪れてみて分かったのだが、オマーンほど強靭な四輪駆動車を必要とする所はないだろう。アラビア半島の東南に位置し、山あり谷あり、沙漠あり、海ありの美しい国。風光明媚で、絶景多し。道路は通っていても舗装はされていない場所も多い。また、水の少ない川や河川敷が、住民の生活道路だったりする。いくら何でも、そんな急勾配の無舗装な地面は道には使わないでしょう……というようなものまで、地元の人たちはごく普通に車を運転して通っている。オフローダーにとって、夢のような国だ。

 思えば、まだオフロードクラブに入れてもらったばかりの頃、何度か仲間からオマーン行きを誘われた。当時は、オマーンってどこ?状態で、ましてやその魅力など知る由もなかった私たち夫婦。赴任が長くなり、あれこれと情報が入るにつれて、オマーンへ訪れたい気持ちが強くなっていった。

 しかし、そんな私たちの気持ちとは裏腹に、もう一緒に行こうと言ってくれる友はない。そりゃあ誰だって、二度も三度も同じルートで同じ場所へは行きたくないだろう。

 そろそろ夫の任期も終わりに近づき、行くならもう自分たちだけで行くしかなくなった。いくらオフロード用の車輛とはいえ、たった1台だけで行く危険は充分すぎるほど分かっている。ましてや、向こう見ずでやん茶坊主のような夫の運転、私は生きてリヤドに戻れるのか……とまで思ったものだ。

 確かに無茶な運転もあったものの、当のオマーン人たちも通っている生活道路。慎重でさえあれば、何も恐れることはない。川や枯れ野が道代わり。多少増水したって、河川が通勤・通学の道であるのに変わりがないのだ。

 素朴な人たちは、どこへ行っても暖かく迎えてくれた。海のシルクロードと言われた海洋交通の経路だった国、オマーン。鎖国状態のサウジアラビアとは対照的な、人々の明るい笑顔が魅力的だった。

≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。2010年正月、いよいよ夏の転勤先が気になるところだが、夫はまた今年も9月のラリーに参戦予定。ラマダン明け祭の休暇が終わる頃の着任なら良いなと、そんなこちらの勝手な都合を人事がきいてくれるはずもなく、脱力気味の年明けになった。




第24回 オマーンという宝石箱
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
オマーンという宝石箱
 訪れてみて分かったのだが、オマーンほど強靭な四輪駆動車を必要とする所はないだろう。アラビア半島の東南に位置し、山あり谷あり、沙漠あり、海ありの美しい国。風光明媚で、絶景多し。道路は通っていても舗装はされていない場所も多い。また、水の少ない川や河川敷が、住民の生活道路だったりする。いくら何でも、そんな急勾配の無舗装な地面は道には使わないでしょう……というようなものまで、地元の人たちはごく普通に車を運転して通っている。オフローダーにとって、夢のような国だ。

 思えば、まだオフロードクラブに入れてもらったばかりの頃、何度か仲間からオマーン行きを誘われた。当時は、オマーンってどこ?状態で、ましてやその魅力など知る由もなかった私たち夫婦。赴任が長くなり、あれこれと情報が入るにつれて、オマーンへ訪れたい気持ちが強くなっていった。
 しかし、そんな私たちの気持ちとは裏腹に、もう一緒に行こうと言ってくれる友はない。そりゃあ誰だって、二度も三度も同じルートで同じ場所へは行きたくないだろう。

 そろそろ夫の任期も終わりに近づき、行くならもう自分たちだけで行くしかなくなった。いくらオフロード用の車輛とはいえ、たった1台だけで行く危険は充分すぎるほど分かっている。ましてや、向こう見ずでやん茶坊主のような夫の運転、私は生きてリヤドに戻れるのか……とまで思ったものだ。

 確かに無茶な運転もあったものの、当のオマーン人たちも通っている生活道路。慎重でさえあれば、何も恐れることはない。川や枯れ野が道代わり。多少増水したって、河川が通勤・通学の道であるのに変わりがないのだ。

 素朴な人たちは、どこへ行っても暖かく迎えてくれた。海のシルクロードと言われた海洋交通の経路だった国、オマーン。鎖国状態のサウジアラビアとは対照的な、人々の明るい笑顔が魅力的だった。

≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。2010年正月、いよいよ夏の転勤先が気になるところだが、夫はまた今年も9月のラリーに参戦予定。ラマダン明け祭の休暇が終わる頃の着任なら良いなと、そんなこちらの勝手な都合を人事がきいてくれるはずもなく、脱力気味の年明けになった。




第23回 らくだ道
連載「アラビア半島の印象」
文・写真:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)
らくだ道
 リヤド郊外、高速道路から少し入った断崖絶壁の沙漠に、幾筋かの綴れ織りの道がある。これらは、「キャメルトレイル」と呼ばれていて、かつては隊商や巡礼者が利用したと伝えられているものだ。黄色っぽく赤茶けた大地と、そしてまた同じ色の岩を積み重ねて造られた小径。かつては、リヤドを含むナジド地方の、主要幹線路だったのだろう。

 何本かあるトレイルのうち、比較的状態の良いものに、涼しくなったらぜひ一度歩いて下りてみたい……とずっと思っていた。きっと上るのはキツいだろうから、下りだけでやってみようと、気合いを入れていた。現地迄車で行き、崖の上で下ろしてもらって、下の野原で待っててもらうという完璧な企画だったのに、私の願いは一発で却下。日中過ごしやすい気温のアラビア半島の冬は、オフロードのシーズン真っ最中なのだ。だから、こんな初心者も行かないような場所でトレッキングなんて女子供がすることだと、にべもない。おまけに、僕らはハイキングクラブじゃないんだぞと、とどめのひと言まで浴びせられてしまった。

 あぁなんて情緒のないヤツよ。マッチョなばかりのオフローダーは、これだから嫌になる。断崖からの絶景を楽しみつつバーベキューをして、それからゆっくり歩いて下れば、良い腹ごなしになるのに。

 結局のところ、5年近くもリヤドに住んだのに、ただの一度もキャメルトレイルのトレッキングは叶わなかった。今から思えば、ウィークデーに車とドライバーを調達して、まさしく女子供だけで行けば良かったと悔やまれる。

≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
フリーランスライターで海外転勤族の妻。本国戻りの夫にくっついてカナダへ来て、3度目の冬を迎えた。寒いのは相変わらず苦手だが、3年続けて異常気象、今年は雪も少なく比較的暖かめ。こんな冬なら大歓迎?!
第14回 勝利の後
連載『パパイヤ・マンゴー・ブラジル』
文・写真:高橋直子(リオデジャネイロ・ブラジル)
勝利の後
 勝利の後は陽気に騒ぐのが一番いい。といっても、試合開始前から身体をアルコールに浸すのだから、BeforeもAfterも関係ない。道路に飛び出して叫んだって、酔っ払って子どもの前で踊ったって、知らない人に抱きついたって大丈夫。サッカーの試合の勝利の後は、ある一線までは無礼講。

 ブラジルの国内サッカーリーグである、カンピオナート・ブラジレイロの最終日は、朝から花火が打ち上げられ騒がしい。特に今年は、リオデジャネイロの有力チーム、フラメンゴ優勝の可能性に沸き立ったサポーター達が、朝から集いチームの歌を街中に響かせた。行き交う人々は応援するチームのTシャツで勝利を願い、観戦会場となるバールに旗を吊り下げる。試合開始直前は、まるでW杯でのブラジル選抜の試合の日のように、通りから人影が消える。行き交う車は減り、皆テレビの前でスタンバイするのだ。

 最終戦を私が観戦したのは、初戦から通った小さなバール(Bar)。試合開始と同時に歓声が上がり、バールの外まで人があふれだす。手を握り締め、選手の細かな表情まで見過ごすまいとする人もいるが、観戦に集中していない人も結構多い。応援するチームのミスにスラングでわめき散らしている間に、ゴール!飛び上がって喜ぶ大人たちに驚きながらも、まねをして飛び跳ねる子ども達。

 今年はフラメンゴが17年ぶり、6度目の王者に返り咲いた。涙を流す人。抱き合う人。飛び上がる人。優勝直後のバールはまるでお祭り騒ぎ。通りかかった車が次々にバールの前に止まり、歓声をあげ、クラクションを鳴らして喜びを共有する。日曜日だというのに、この日は明け方まで騒ぎが続いた。



≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
ブラジル在住9年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種が芽を出してはや6年。わんぱくに成長したわが子に、 読み聞かせ絵本のポルトガル語を直される毎日。ビールを片手に夜の街に出没し、サンバのステップに足を絡ませる日々を過ごす。ブラジルをあそぶブログ

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